たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「恥」です。
安岡正篤は言いました。「人の人たるゆえんは、実は道徳を持っていることである」と。そしてそれは「敬」するという心と、「恥」ずるという心になって現れるといいます。
いくら発達した動物でも、この二つの心は絶対に持っていません。
この「敬」と「恥」は、孔子および孟子に流れる根本観念です。人間が進歩向上し、偉大なものを求めるときに生じるのが「敬」の心です。そして相対関係として、必ずそこに生じる心が「恥」です。その敬する心と恥じる心、もっと根源的に言うと、本能や衝動が人間の中にあって、ここから人間の道徳やいろいろな学問・文化に発展してきたのです。
「敬」はどちらかというと理想的で、人間にとってこの敬の心を養うということは難しいと言えます。しかし、恥じるという心は、だれもが一番持ちやすい本能的衝動です。『論語』では「敬」ということを非常に大切に説いていますが、『孟子』はむしろ「恥」というものを重視し、「恥ずる心ほど人間にとって大切なものはない」と力説しました。
人間が恥じるという心を養えば、それで人間は必ず救われます。恥に堪えないという心を養いさえすれば問題はないのであり、だからこれを養えばよいのだというのです。当然ながら、子どものうちに恥じる心を身につけさせることが必要だと孟子は述べました。
古代中国で生まれた「恥」というコンセプトは日本で花開きました。
武士道というものの根底もすべて「恥」にあります。江戸時代の武士道とは武士のみの独占物ではなく、町民、庶民、女性や子どもに至るまですべての日本人が持っていた美学と言えます。だから、「侠客道」とか「商人道」という言葉さえ生まれたのです。そして、武士と町民、庶民が共有していたのは、「恥を知る」という日本人特有の文化、倫理にほかなりません。かつて日本では、親は子に「恥ずかしいことはするな」「人様に後ろ指をさされるな」「人様に迷惑をかけるな」と教えました。
江戸において、人から「いなかっぺい」と呼ばれることは最大の恥でした。
これは、地方出身者という意味ではなく、相手の肩書きや貧富を知ったあとで急に態度を変える俗物的な人間をさします。それは、井の中の蛙(井中っぺい)とされて、もっとも軽蔑されたのです。このような倫理感や美意識が江戸・明治の日本人の真骨頂でした。シルバーシートに座って狸寝入りを決め込む若者を目にするたび、世も末だと思います。現代の日本人全体が、大切なこの「恥」という公徳心を忘れかけています。
特に「恥」に日本文化の本質を見いだしたのが司馬遼太郎でした。彼によれば、「人に笑われまい」という恥の文化のおかげで千年以上も社会が保たれてきたといいます。借金の証文に、いついつまでに返済すると書き、「もし、このことに違えば、どうぞお笑い下さい」と書くのが、明治以前の証文の型だったのです。
なお、「恥」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

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2016年6月12日 佐久間庸和拝