*中国に来ています。
ネット環境が非常に悪いです。
ブログに画像が貼り付きません。
帰国後に貼り付けますので、お待ち下さい。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」のミッションで中国に来ています。
22日の朝、8時に西安の「シャングリ・ラホテル西安」を出発。
まずは専用車で、西安の観光名所である大雁塔を訪れました。
22日朝の西安市街のようす
大雁塔は、652年に唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔です。Wikipedia「大雁塔」の「概要」には以下のように書かれています。
「名前は、菩薩の化身として雁の群れから地上に落ちて死んだ1羽を、塔を建てて埋葬したことに由来する。高さは7層64mで現在は、西安市の東南郊外にある大慈恩寺の境内に建っている。玄奘の設計により、当初は5層であった。各階に仏舎利がおさめられ、経典は上層部の石室に置かれた。玄奘自ら、造営に携わったと伝えられる」
玄奘三蔵といえば、その最大の功績は『般若心経』を翻訳したことでしょう。
彼の訳が日本に伝わり、日本仏教に多大な影響を与えたことは有名です。今年の4月8日、ブッダの誕生日である「花祭り」の日に、『般若心経 自由訳』を完成させました。「空」の本当の意味を考えに考え抜いて、死の「おそれ」や「かなしみ」が消えてゆくような訳文としました。美しい写真を添えて、お盆までには上梓したいと願っています。
それから、わたしたちは青龍寺を訪れました。中国陝西省の古都、西安市南郊の雁塔区鉄炉廟村にある仏教寺院です。ここは、弘法大師空海ゆかりの寺として知られています。その故地は、唐朝の都、長安城においては、左街の新昌坊に当たる場所でした。
わたしは、2014年末に監訳書である『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を上梓しましたが、それ以来、ずっと青龍寺を参拝したいと願っていました。

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それから、わたしたちは兵馬俑を訪れました。言わずと知れた秦の始皇帝の死後を守る地下宮殿です。二重の城壁を備えた始皇帝の巨大陵墓の下には、土で作られた兵士や馬の人形が立ち並んでいます。実に8000体におよぶ平均180センチの兵士像が整然と立ち並ぶさまはまさに圧巻で、「世界第8の不思議」などと呼ばれていることも納得できます。
Wikipedia「兵馬俑」の「概要」には以下のように書かれています。
「古代中国の俑は死者の墓に副葬される明器の一種であり、被葬者の死後の霊魂の『生活』のために製作された。春秋戦国時代には殉葬の習慣が廃れて、人馬や家屋や生活用具をかたどった俑が埋納されるようになり、華北では主として陶俑が、湖北湖南の楚墓ではとくに木俑が作られた。兵馬俑は戦国期の陶俑から発展したものだが、秦代の始皇帝陵兵馬俑においてその造形と規模は極点に達する。漢代以降も兵馬俑は作られたが、その形状はより小型化し、意匠も単純化されたものとなった」
わたしは、2005年以来、じつに12年ぶりに兵馬俑を訪れました。
あのときは、兵馬俑の発見者である楊志発氏にもお会いしました。そして、わたしは始皇帝についての思いを「始皇帝の夢、アレクサンダーの志 東西二大英雄の心を読む」という文章に書きました。そして、「不老不死求めてあがく夢の跡 まこと哀しき兵馬俑かな」と歌を詠みました。
兵馬俑を後にしたわたしたちは、空港へ向かいました。
夕食は「航空大酒店」にて西安料理に舌鼓を打ちました。
そして、20時00分発のFM9204便で空路、上海へ。
上海の虹橋空港には22時15分に到着。専用車でホテルへ。
宿の「上海月湖会館」に着いたのは23時30分過ぎでした。相変わらずのハードスケジュールは、この研究会の特徴ですが、さすがに疲れました。それでは、おやすみなさいzzzzzz
*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。
2017年4月23日 佐久間庸和拝