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Channel: 佐久間庸和の天下布礼日記

誕生日に『論語』を読む

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東京に来ています。15日はアジア冠婚葬祭国際交流研究会、および冠婚葬祭総合研究所の客員研究員会議に参加しました。17日は、冠婚葬祭文化財団の評議員会、全互協の理事会に参加します。16日、「サンデー毎日」2017年5月28日号が発売されました。
表紙は、漫画家の本宮ひろ志さんが描いた諸葛孔明の絵が使われています。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第80回目のタイトルは、「誕生日に『論語』を読む」です。


サンデー毎日」2017年5月28日号



先日、54回目の誕生日を迎えました。例年のように、その日、私は『論語』を通読しました。なぜ、誕生日に『論語』? わたしが40歳を迎えようとしていたときのこと。「自分ではまだ若いと思っていても、はたから見ればもう中年と呼ばれる年代になるのか」と落胆のようなものがありました。それと同時に40歳になるのにまだ何事もなしていないという焦り、さらには、さまざまな迷いも腐るほどあったのです。



「40歳といえば不惑で、もう迷わない年齢のはずなのに・・・・・・」とも思いました。「不惑」という言葉の出典は『論語』です。自分はこんなに悩み、迷っているのに、なぜ孔子は40歳にして「不惑」になるなどと言ったのかという素朴な疑問が湧きあがりました。それなら原典を読んでやろうじゃないか、というわけで、『論語』を読む決意を固めました。


冠婚葬祭を業とする会社の社長になったばかりでもあり、儀式の根本思想としての「礼」を学び直したいという考えもありました。そして、40歳の誕生日に40回目を読み終える計画で、40日前から1日1回、『論語』を読んだのです。 
高校時代以来、久しぶりに接する『論語』でしたが、一読して目から鱗が落ちる思いがしました。当時の自分が抱えていた多くの問題の答えがすべて書いてあるように思いました。



40回読めば内容は完全に頭に入りますので、以後は誕生日が来るごとに再読します。不思議なことに、以前感銘を受けた箇所はそれほど気にならず、心惹かれるポイントが変わっていることに気づいたりします。そういう自分の心境の変化を観察するのもなかなか面白いもの。こういう形でなら、わが命が果てるまで読み返せます。



わたしが70歳まで生きるなら70回、80歳まで生きるなら80回、『論語』を読むことになります。こうすれば、もう何も怖くないし、惑うこともないと思いました。何のことはありません、わたしは「不惑」の出典である『論語』を座右の書とすることで、「不惑」を実際に手に入れたのです。これからも、死ぬまで誕生日には『論語』を読み続けたいと思います。


サンデー毎日」2017年5月28日号の表紙



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2017年5月16日 佐久間庸和


西新橋にて

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17日の早朝、東京の定宿の部屋で目覚めました。朝食後、チェックアウトをしてタクシーで西新橋の「COMS虎ノ門」に向かいました。ここは15日にも訪れ、アジア冠婚葬祭業国際交流研究会および冠婚葬祭総合研究所客員研究員会議に参加しました。


「COMS虎ノ門」の雄姿

諸機関が同じビルに入居

冠婚葬祭文化振興財団評議員会に出席しました

冠婚葬祭総合研究室の図書室

わが著書も並べられています

冠婚葬祭総合研究室の図書室にて

図書室で「サンデー毎日」の原稿を書きました



今日は、9時半から開催される冠婚葬祭文化振興財団評議員会、13時から開催の全互協理事会に参加します。冠婚葬祭文化振興財団評議員会は10時半に終了しましたが、13時まで予定がありません。それで冠婚葬祭総合研究所の図書室に入り、「サンデー毎日」の連載コラムの原稿などを書きました。ちなみに、総合研究所はCOMS虎ノ門の4F、文化振興財団は5F、全互協は6Fに入っています。さらには監査役を務める互助会保証株式会社は3Fに入居しており、これらすべてが同じビルに入っているので、わたしとしては大変便利です。


昼食に入った中華「栄雅」

ラーメン&半チャーハンが旨かった!



12時になったので、昼食を取りに外に出ました。場所が西新橋なので、周囲にはたくさんの飲食店があります。なぜか中華料理のお店が多いです。どこに入ろうかと迷ったのですが、つけ麺の「二代目 つじ田」という店にしようかと思ったら、満席でした。それで、お隣りの中華「栄雅」に入りました。わたしは券売機で、ラーメン&半チャーハンのセット(830円)のチケットを買いました。カウンターに座って待つこと15分。その店構えから、正直言ってあまり味には期待していなかったのですが、ビックリするほど旨かったです。さすがは西新橋!


ビルの名前は「新橋」ではなくて「虎ノ門」です



ビルの名前は「虎ノ門」ですが、「新橋」のほうが全国的には有名です。
特に地方では、TVのニュース番組に登場する新橋駅前のインタビュー取材の影響で、「新橋」という地名には親しみがあるようです。しかし、あのインタビューは酔っ払ったサラリーマン相手なので、なんとなく「新橋で飲んでいる人はだらしない」というイメージがあります。昨夜も、秋篠宮眞子さまの婚約のニュースの感想についてインタビューが行われ、ぐでんぐでんに酔っ払ったサラリーマンがマイクに向かって大声で「おめでたいね。いやあ、おめでとう!」などと叫んでいました。ああいうのは、やめたほうがいいと思います。


全互協理事会に参加しました

会議室が広くなりました



昼食を済ますと、COMS虎ノ門に戻り、13時からの全互協理事会に参加しました。
これまでの全互協会議室は狭く、理事会ではギュウギュウ詰めで窮屈でしたが、新ビルに入って会議室も広くなりました。いま、業界はさまざまな問題に直面していますが、みんなで衆知を集めて未来を拓いていかなければなりません。
15時に理事会が終わると、わたしはタクシーで浜松町へ。そこからモノレールに乗って羽田空港へ向かいました。そして17時15分発のスターフライヤー85便で北九州へ。
北九州空港に到着したのはちょうど19時でした。明日は早朝から、小倉の松柏園ホテルで毎月恒例の月次祭、および天道塾が開かれます。




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2017年5月17日 佐久間庸和

銀座にて

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15日はアジア冠婚葬祭業国際交流研究会&冠婚葬祭総合研究所客員研究員会議、17日は冠婚葬祭文化振興財団評議員会&全互協理事会ということで、16日は会議ラッシュの谷間でありました。わたしは朝から宿泊先のホテルで出版関係の打ち合わせをしました。午前中は、『はじめての論語』(三冬社)、午後は『般若心経 自由訳』(現代書林)、および『未来に遺したい年中行事』(PHP新書)の打ち合わせをしました。


銀座にやってきました

TOKYU PLAZA

TOKYU PLAZAの前で

GINZA6

GINZA6の前で

GINZA6の中で

GINZA6内のビストロ

シャンパンでカンパイ!



夕方からは銀座に出掛けました。有楽町マリオン11Fの「TOHOシネマズ日劇」でディズニーの「美女と野獣」を観て、その後、「TOKYU PLAZA」や「GINZA6」でショッピングを楽しみました。先月オープンしたばかりの銀座最大の大型施設の「GINZA6」は初めて訪れました。ある業界関係者と館内のビストロで待ち合わせし、夕食を共にしました。1週間遅れの誕生日祝いということで、久々にシャンパンも飲みました。とても美味しかったです。



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2017年5月17日 佐久間庸和

教養こそが幸せへの道

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17日の夜、東京からスターフライヤーで北九州に戻りました。
18日の北九州は素晴らしい快晴です。早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。いつものように、戸上神社の是則神職が神事を執り行って下さいました。祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが参列者を代表して玉串奉奠しました。


月次祭のようす

一同礼!

玉串奉奠する佐久間会長

わたしも玉串奉奠しました



神事の後は、「天道塾」を開催しました。
最初に佐久間会長が檀上に立ち、簡単な訓話をしました。会長は日本の人口減の問題を取り上げ、今後ますます人口問題と密接に関わる冠婚葬祭業の意義が高くなると述べました。


天道塾のようす

最初に話す佐久間会長

報告する山下執行役員

「温故知新」を提唱しました


それから、山下執行役員が冠婚事業部の方向性について報告しました。
現代日本の冠婚トレンドから、アニバーサリー戦略などを述べ、最後には松柏園の新館建設に言及して、「温故知新」を提唱しました。全体的に前向きの考え方による報告でした。


わたしが登壇しました



そして、わたしが登壇しました。先月は東京出張のために不在でしたので、2カ月ぶりの天道塾です。わたしはまず、山下執行役員の報告に触れ、「前向きな考え方の報告で、良かったです。昨日、稲盛和夫著『考え方』という本を読んだのですが、すべては良い考え方、明るい考え方を持つことが素晴らしい現実を生み出します。わが社は、冠婚葬祭について、互助会について、前向きな考え方を持っていることが強みではないでしょうか」と述べました。


結婚について語りました



続いて、「結婚といえば、眞子さまの御婚約は本当におめでたいお話です。一方で、女性タレントの婚約者に4人(18日現在で判明)もの婚外子がいる報道には驚きました。いくら外見や資産があっても、人は見かけによりません。教養こそが幸せへの道だと思います。わたしにも娘がいますが、結婚にはリスクも付きものだと痛感しました。わたしは先日、誕生日を迎えて54歳になりましたが、『サザエさん』の磯野波平も54歳だと知ってショックを受けました」と言うと、会場から笑いが起きました。


人を祝うということは素晴らしい!「



続いて、ブログ「九州ブロック研修会」で紹介した研修会の話をしました。
「ウエディング・ジャーナル」の北折編集長による「ウェディングビジネス最新動向」の講演がありましたが、「本物」の結婚式場しか生き残れないこと、ブライダルビジネスにとっての婚活事業の重要性などを協調されていました。まったく同感です。
また、研修会後の懇親会でサプライズがありました。
平田研修委員長がマイクを取り、「みなさん、昨日、佐久間ブロック長が54歳の誕生日をお迎えになられました。ぜひ、みなさんでお祝いしたいと思います!」と言ったのです。何も知らなかったわたしは本当にビックリして、感動のあまり涙が出てきました。セルモの安田会長からバースデーケーキ、サニーライフの大西社長から素敵な花束も頂戴し、参加者全員で「ハッピー・バースデー」が声高らかに歌われました。もう、胸がいっぱいになりました。結婚式にしろ、誕生日にしろ、人を祝うということは素晴らしいことです。


儀式の軽視は文化的衰退である!



冠婚から葬祭の話に移りましたが、きちんとした葬儀を行なわずに、後日、「お別れ会」などを開くという最近の風潮に疑問を呈しました。社会的に重要な地位にあった人、いわば公人と呼ぶべき人でさえ、遺族の意向でその死が知らされず、親族のみで葬儀を済ませることが多いです。しかし、「お別れ会」は葬儀とは違います。先日訪れた中国では、共産党政権による贅沢禁止の令より葬儀も簡素化されていますが、日本は別に共産国家でもないのに、国民が勝手に葬儀を簡素化しているわけです。『儀式論』にも書いたように、儀式の軽視は文化的衰退ですから、わたしは日本の将来が不安でなりません。わたしは、日本のためにも「礼」の大切さを中心にした『論語』のテキストを作りたいと思っています。江戸時代の寺子屋で使われた『論語』の教本のアップデートのイメージで、小学校などに寄贈したいと考えています。わたしは、『論語』で日本人を幸せにしたいと考えています。教養こそが幸せへの道なのです。


中国視察の話をしました



論語』とともに、日本人にとっての「こころ」の支えが『般若心経』です。
中国では、西安の観光名所である大雁塔を訪れました。大雁塔は、652年に唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔です。玄奘三蔵といえば、その最大の功績は『大般若経』を漢訳したことです。般若経典は150年頃に現在の形の原形が成立したとされます。その後、サンスクリット文字にて文書化され、以後長短様々な般若経典へと発展していきました。


『般若心経』の自由訳について



630年頃、玄奘がインドからそれらの般若経典群を中国へ持ち帰り、さらに玄奘自ら翻訳の指揮を取って4年の歳月を掛けて漢訳しました。こうして、663年に『大般若経』(『大般若波羅蜜多経』)が完成したのです。この膨大な教典を300余文字に要約したものが『般若心経』だとされています。玄奘がインドから持ち帰って漢訳した『大般若経』および『般若心経』が日本に伝わり、日本仏教に多大な影響を与えたことは周知の事実です。
今年の4月8日、ブッダの誕生日である「花祭り」の日に、わたしは『般若心経 自由訳』を完成させました。「空」の本当の意味を考えに考え抜いて、死の「おそれ」や「かなしみ」が消えてゆくような訳文としました。いわば、グリーフケア版『般若心経』です。美しい写真を添え、お盆までには上梓したいと願っています。


玄奘空海に『般若心経』自由訳の完成を報告



中国では、青龍寺も訪れました。中国陝西省の古都、西安市南郊の雁塔区鉄炉廟村にある仏教寺院です。ここは、弘法大師空海ゆかりの寺として知られています。それも、唐代の中国密教の第一人者であった恵果と空海が邂逅した場所なのです。2014年末に監訳書である『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を上梓して以来、ずっと青龍寺を参拝したいと願っていました。じつは、『般若心経』を自由訳するにあたって、わたしは空海の『般若心経秘鍵』をベースに経文を解釈しました。わたしは、大雁塔では玄奘像に向かって、青龍寺では空海記念碑に向かって、『般若心経』自由訳の完成を報告しました。


最後は、もちろん一同礼!



自由訳の内容については、近く、サンレーの営業所会議、紫雲閣の支配人会議および副支配人会議で詳しく話すつもりです。単に暗記して唱えるだけでなく、その『般若心経』の真の意味を共有できれば、わが社にとって大きな力になることでしょう。結果として会社が発展し、社員のみなさんが豊かになり、お客様に感謝されるサービスを提供してくれれば、こんなに素晴らしいことはありません。そう、教養こそが幸せへの道なのです。



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2017年5月18日 佐久間庸和

ダブルでお祝い!

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19日は金曜日なので、 小倉ロータリークラブの例会に参加しました。
もう5月も終盤に入っているというのに、今日は今月最初の例会でした。
月初の例会では、誕生日祝いと結婚記念祝いが行われます。


誕生日祝いと結婚記念祝いが行われました



まずは、5月に誕生日を迎える会員が前に出ました。昨年に続いて、わたしが指名を受け、代表で挨拶をしました。わたしは「54歳になりました。人からは『若いですね』などと言われるのですが、『サザエさん』の波平と同じ年齢と知って、ショックを受けています。ちなみに、フネは52歳、サザエは24歳だそうです。あと何年生きられるかわかりませんが毎日を残りの人生の第一日目と思って、一日一日を真剣に生きていきたいと思います。御指導下さい!」と言いました。つまらない話にもかかわらず、盛大な拍手を頂戴して、恐縮しました。それから、みんなで「誕生日の歌」を歌いました。5月10日生まれであるわたしも前に出て、歌いました。


ウーロン茶で乾杯!



また結婚記念日祝いでは、5月に結婚記念日を迎える会員が前に出ました。
そして、みんなで「結婚記念日の歌」を歌いました。
これまた、5月20日が結婚記念日であるわたしも前に出て歌いました。
その後、メンバー全員でウーロン茶で乾杯しました。それにしても、こうやってクラブのメンバー全員で祝い合うのは素晴らしいことです。わたしは、「祝う」という営み、特に他人の慶事を祝うということが人間にとって非常に重要なものであると考えています。ハートフル・ソサエティとは、「おめでとう」と「ありがとう」が活発に行き交う社会です。ですから、雨が降ろうが風が吹こうが、毎月必ず「おめでとう」と「ありがとう」を全員で言い合っているロータリークラブは、「ハートフルクラブ」でもあるのです。


誕生日祝いに頂いたワイン



ということで、今日はダブルでお祝いしていただきました。
誕生日祝いの記念品として、ワインを頂きました。
また、結婚記念祝いとして、後日自宅に胡蝶蘭が届くそうです。
本当に、ありがたいことです。わたしは、「今日はダブルでお祝いしていただき、ありがとうございました」という内容でニコニコ献金をさせていただきました。



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2017年5月19日 佐久間庸和

結婚記念日

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5月20日になりました。今日は、わたしたち夫婦の28回目の結婚記念日です。
今朝、マリエールオークパイン小松の伊藤支配人から「佐久間社長、28回目のご結婚記念日、誠におめでとうございます。社長ご夫妻の、益々のご健康とご多幸をお祈り申し上げます」というメールがガラケー(笑)に届きました。ありがとうございます!


ガラケーに届いた伊藤支配人からのメール



わたしたち夫婦は、1989年5月20日に結婚式を挙げました。
結婚式および披露宴は、小倉の「松柏園ホテル」および八幡の「松柏園グランドホテル」(現在のサンレーグランドホテル)で昼夜2回行いました。わたしが26歳になったばかりで、妻は22歳のときでした。月日の流れる速さに呆然とするとともに、わたしの人生の半分以上を連れ添ってくれた妻に対して、ただただ手を合わせて感謝するばかりです。


結婚28周年祝いの花々

小倉ロータリークラブから贈られた花



ブログ「ダブルでお祝い!」で紹介したように、昨日は小倉ロータリークラブのみなさんから結婚記念日祝いをしていただきました。とても嬉しかったです。そして今日、クラブから結婚記念日祝いの黄色いバラの花束が届きました。その花を眺めながら、「君と我と遙けき旅路 思えば楽し 楽し♪」というロータリーの「結婚記念日の歌」を鼻歌で歌いました。


長女から贈られたカードとプレゼント



それから、東京に住んでいる長女が両親の結婚記念日を祝っていろいろ送ってきてくれました。大きな包みの中には、メッセージ・カードとともに長女手作りのマカロン、それから写真スタンド2台と綺麗なオブジェが入っていました。
遠く離れていても、いつも家族のことを気遣ってくれる長女に感謝です。
今夜は、マカロンを食べながら、この28年間を振り返りたいと思います。



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2017年5月20日 佐久間庸和

小倉高校同窓会

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21日の15時から母校である小倉高校の同窓会総会が開催されました。第103回です。
会場は小倉高校の体育館です。今回も、わが社の松柏園ホテルが料理や会場運営を担当しています。学校を訪れると、校舎が新しくなっていたので驚きました。それから、高校生たちが下校しているところに遭遇したのですが、みんな校舎のほうに向かって一礼していました。こんな素晴らしい習慣は、わたしの高校生時代にはなかったので、大変感動しました。


同窓会総会の看板の前で

高校の校門の前で

質実剛健の校風です!

小倉高校の新校舎



小倉高校は、各界で活躍されているOBが多い名門です。
詳しくは、「福岡県立小倉高校出身有名人」を御覧下さい。
少し遅れて会場に入ると、1000人を超える人たちがいて、ものすごい熱気でした。
やはり、年に1回の同窓会総会に来ると、血が騒ぎますね。 おかげさまで料理も好評で、特に“松柏園特製おでん”が大人気。おでんコーナーには長蛇の列が出来ていました。


GO! Go! 小倉高校!!

第103回明陵同窓会総会のようす



高校34期の席に着くと、なつかしい顔が揃っていました。
同級生たちと昔の思い出話をしたり、近況を報告したりしていると、あっという間に時間が過ぎていきます。いつも思うのは、高校の同級生ほど気の合う存在はないということです。なぜなら、出身地が同じ、年齢が同じ、加えて学力もしくはIQがだいたい同じくらい(?)ということで、このように三拍子が揃っているからです。


1000人以上が参集しました

パンフレットの裏表紙にはわが社の広告が・・・



今日は先輩や後輩、そして同級生たちが1000人以上も集まりました。
職業もさまざまで、会社の経営者もいれば、お医者さんも弁護士さんもいる。お坊さんや芸術家の先生だっています。日頃からお世話になっている顔見知りの方にばったり会って、母校が同じだと初めて知ることもしばしばです。多くの方々とお話ししていると、「ああ、良いご縁に恵まれたなあ」と痛感します。今日も、多くの先輩や後輩のみなさんと交流できました。


お楽しみ大抽選会のようす

松柏園からも景品を提供しました



恒例の「お楽しみ大抽選会」も行われました。わが松柏園ホテルからは、今秋に完成予定の新館レストランのペア食事券などの豪華景品を提供させていただきました。総会の最後には、校歌を全員で合唱しますが、いつも胸が熱くなります。
母校の校歌を歌うとき、わたしは「学縁」というものを強く感じます。
そして、校歌斉唱の後は、全員で万歳三唱です。もうサイコー!
当番幹事のみなさん、本当にお疲れ様でした。


22年前、同窓会総会で挨拶しました



今年の当番幹事は高校55期ということですが、わたしは高校34期の当番幹事長でした。
当時のわたしはは32歳でしたが、同級生のみんなと一緒に苦労して同窓会総会をなんとか成功させました。わたしは当番幹事長として壇上で挨拶し、新たに創設した「ひまわり基金」という寄付金の目録を当時の北九州市長であった末吉興一市長にお渡ししました。今ではもうセピア色の思い出ですが、非常に緊張したことを記憶しています。


寄付金の目録を北九州市長にお渡ししました



当番幹事長ですので、わたしには毎年できるだけ多くの同級生を集める使命があります。
正直言ってこれまで苦戦していましたが、今年は予想に反して(?)多くの同級生が集まってくれました。久々に再会した同級生と一緒に飲みながら、ゆっくり語り合う時間は心からリラックスできます。同級生ゆえに余計な気も遣わず、なつかしいあの頃にタイム・トリップできるのです。みなさんも、同窓会の案内が来たら、ぜひ参加されて下さい。きっと、あの頃に置き忘れてきた大切な何かを思い出されるのでは?


「鳥町食堂街」の鰻料理の名店「川淀」の前で

これが川淀の特大うな丼だ!!

うー、こりゃたまらん!



同窓会の終了後は、有志と魚町に繰り出しました。
そこで「鳥町食堂街」に入り、鰻料理の名店である「川淀」を訪れました。冷酒を飲みながら、うまき、うざく、特大うな丼などを頂きましたが、どれも非常に美味しかったです。最近ハードワークでグロッキー気味でしたが、鰻のおかげでエネルギーを注入することができました。



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2017年5月21日 佐久間庸和

『僕の死に方』  

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連載100回達成記念に、過去の「ハートフル・ブックス」をご紹介しています。
第59回目は、「サンデー新聞」2012年12月29日号に掲載されました。
わたしは、『僕の死に方』金子哲雄著(小学館)を紹介しました。


「サンデー新聞」2012年12月29日号



著者は人気の流通ジャーナリストでしたが、2012年10月、「肺カルチノイド」という急性の難病により、41歳の若さで急逝しました。カルチノイドは、医学的に「ガンもどき」を意味します。発症率10万人に1人という奇病ですが、早期発見、早期治療で治癒する可能性が高いとされています。しかし、発見が遅かったり、再発や転移があったりして、いわゆる三大治療(手術・抗がん剤放射線)が受けられない状態の患者さんがいます。著者は、まさにその状態でした。もはや有効な治療法がなかったのです。



入退院を繰り返しながら仕事を続けてきた著者は、最期は「自宅で家族に看取られたい」と希望しました。自分の死期を悟った著者は、自分の葬儀を自分でプロデュースすることを思いつきます。彼は、なんと会葬礼状まで生前に用意して、自らの葬儀をも「流通ジャーナリスト」としての情報発信の場にしたのでした。そのプロ根性には、「お見事!」という他ありません。



しかし、「今すぐ死んでも驚かない」と医師に告げられた著者が「余命ゼロ」宣告を受け入れて死の準備を整えるまでには、さまざまな葛藤がありました。
仕事が順調であるにもかかわらず人生を卒業しなければならない悔しさ、夭折した姉や妹や弟たちの分まで生きることができなくなった悲しみ、そして何より、最愛の妻を残していくこと・・・。



ようやく死を受け入れた著者は、本を書くことを決心します。担当編集者には、「40代で死ぬということがどういうことか、妻に何を残せるのか、気持ちにどんな変化が起きるのか」といったことを書き残したいと言いました。そして、死の一か月前から、最後の力を振り絞って本書を書き上げます。なんとか脱稿した後、妻が見守る中、著者は静かに息を引き取ったのでした。



本書には、死を目前にした人間の心境が赤裸々に綴られています。自らの死の準備をし、その過程を書いた著者の覚悟と勇気には心から敬意を表します。特に、著者が自身の葬儀の準備を粛々と進める姿には多くの人が感動するのではないでしょうか。自分の葬儀について考えることは、自分の人生に責任を持つことです。そして、何よりも自分の「生」を肯定することです。「終活」という言葉が流行していますが、著者の葬儀のように、「あの人らしかったね」と言われるような人生の卒業式が今後は増えていく予感がします。



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2017年5月22日 佐久間庸和


兵馬俑で考えたこと

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23日、「サンデー毎日」2017年6月4日号が発売されます。
表紙の人物は、婚約が決まられた秋篠宮眞子さまです。おめでとうございます!
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第81回目のタイトルは、「兵馬俑で考えたこと」です。


サンデー毎日」2017年6月4日号



業界の仲間と中国に行ってきました。上海、長沙、西安などの都市を回り、12年ぶりに兵馬俑を訪れました。兵馬俑とは、言わずと知れた秦の始皇帝の死後を守る地下宮殿です。8000体におよぶ平均180センチの兵士像が整然と立ち並ぶさまはまさに圧巻で、「世界第8の不思議」などと呼ばれています。



秦、楚、燕、斉、趙、魏、韓、すなわち「戦国の七雄」がそのまま続いていれば、中国は7つほどの国に分かれ、ヨーロッパのような形で現在に至ったことでしょう。
広大な中国を統一するとは、どういうことか。他の国々を武力で打ち破るのみならず、度量衡を統一し、「同文」で文字を統一し、「同軌」で戦車の車輪の幅を統一し、郡県制を採用した。そのうちのどれ1つをとっても、世界史に残る一大事業です。始皇帝は、これらの巨大プロジェクトをすべて、しかもきわめて短い期間に1人で成し遂げたわけです。


絶大な権力を手中にした始皇帝でしたが、その人生は決して幸福なものではありませんでした。それどころか、人類史上もっとも不幸な人物ではなかったかとさえ、私には思えます。なぜか。それは、彼が「老い」と「死」を極度に怖れ続け、その病的なまでの恐怖を心に抱いたまま死んでいったからです。



世の常識を超越した死後の軍団である兵馬俑の存在や、徐福に不老不死の霊薬を探させたという史実が雄弁に物語っています。ひたすら生に執着し、死の影に脅え、不老不死を求めて国庫を傾け、ついには絶望して死んでいきました。兵馬俑とは、不老不死を求め続けた始皇帝の哀しき夢の跡にほかなりません。



いくら権力や金があろうとも、老いて死ぬといった人間にとって不可避の運命を極度に怖れたのでは、豊かな人生を送ったとは言えません。逆に言えば、地位や名誉や金銭には恵まれなくとも、老いる覚悟と死ぬ覚悟を持っている人の人生は豊かなのではないでしょうか。兵馬俑をながめながら、そんなことを考えました。


サンデー毎日」2017年6月4日号の表紙



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2017年5月23日 佐久間庸和

西日本ブロック会議

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23日、北九州から山口県防府市に向かいました。
ここで開かれる全互連西日本ブロック会議に参加するためです。
会場は、日本セレモニーさんの経営する防府グランドホテルでした。


防府グランドホテルの前で

西日本ブロック会議に参加しました

客室に『古事記』が置かれていました



チェックインすると、客室に『古事記』の本が置かれていました。
『聖書』や『仏典』がホテルに置かれているのは珍しくないですが、『古事記』は初めてです。でも、『古事記』は日本人の神話なので、良い企てだと思いました。


乾杯の音頭を取りました

カンパ〜イ!



1Fのバンケットで開催されたブロック会議では、日本セレモニーの神田会長の基調講演を拝聴しました。「つねに変化を」という日セレさんの姿勢に大いに刺激を受け、大変勉強になりました。会議後の懇親会では、全互連の会長としてわたしが乾杯の音頭を取りました。


二次会で歌いました♪



その後の二次会では、わたしはブログ「まつり」で紹介したサブちゃんの名曲を歌いました。最後の「これが日本の祭りだよ♪」のところは「これが西日本ブロックの祭りだ〜よ〜♪」に改変して歌ったのですが、大いに盛り上がりました。この歌を歌うのはブログ「九州ブロック研修会」で紹介した阿蘇の夜であります。さらには、アンコールのリクエストがあったので、最後にブログ「祭りのあと」で紹介した桑田ナンバーを歌いました。歌いながら、参加者全員と握手をさせていただきました。西日本ブロックの結束が強まった夜だったと思います。全互連最高!



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2017年5月24日 佐久間庸和

北九州市のインバウンド対策

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ブログ「西日本ブロック会議」で紹介したように23日の夜は山口県防府に一泊。翌24日は北九州に戻り、夜は松柏園ホテルで開催された「新北九州を考える会」に出席しました。
北九州で活躍するさまざまな方が一同に会する異業種勉強会です。


松柏園新館の工事現場にて



まずは松柏園の隣接地に建設中の新館「ヴィラ・ルーチェ」の工事現場を視察しました。鉄骨の骨組みが出来上がって、日ごとに巨大な建造物が完成しつつあります。今秋の竣工がとても楽しみです。昨日の西日本ブロック会議で、10月24日(火)に全互連西日本ブロック会議および正副会長会議、移動理事会、懇親会の開催について打ち合わせしました。さらには翌25日には互助会業界の方々にお集まりいただき、サンレー創立50周年祝賀会をNEW松柏園で開催する予定です。無事に完成してもらわないと困ります。


辰巳先生からプレゼントされた本



さて、「新北九州を考える会」は18時半から開始。わたしが18時頃に受付に行くと、わが社の顧問弁護士である辰巳先生にお会いしました。辰巳先生はわたしの顔を見ると、ニコニコしながら1冊の新書本をプレゼントして下さいました。
見ると、『スノーデン 日本への警告』エドワード・スノーデンほか著(集英社新書)という本でした。辰巳先生が「佐久間社長のようにブログを書いている人は、個人情報が筒抜けになっていますよ」と笑顔で言われるので、ゾッとしました。
辰巳先生は大の読書家で、いつも興味深い本を教えて下さいます。感謝です!


「新北九州を考える会」のようす

外国からのクルーズ船の寄港



今夜の「新北九州を考える会」では、北九州市産業経済局観光課の森川課長による「北九州市のインバウンド対策」という講演が行われました。豊富な写真を使ったパワーポイントを示しながら、わかりやすくインバウンドの「いま」を説明して下さり、とても興味深かったです。中国・韓国・台湾などから多くの観光客が北九州を訪れていることを知りました。門司の淡島神社では、海外ウエディングも行われたそうです。全互協の九州ブロックでも、中国からの海外ウエディング推進を検討しているところなので、勉強になりました。森川課長は、北九州市の北橋市長の指示でわたしが書いたレポートを読んでおられると言われていました。光栄です!


海外ウエディングの誘致



懇親会では、周囲の方々からインスタグラムの話をいろいろお聴きしました。インバウンドの観光客も、インスタで北九州の魅力を発信しているそうです。なかなかインスタは面白そうなので、わたしも、ブログをやめてインスタを始めようかなと思いました。もう、ブログの時代でもないですしね。でも、インスタじゃ長文のメッセージが書けないしなあ・・・・・・。


松柏園名物の「ローストビーフ

牛肉しぐれ煮と温度卵の“T・K・G”

卵御飯を超える旨さです

こりゃ、たまらん!




懇親会で出た「ローストビーフ」は大変好評で、みなさんから「本当に美味しいですね!」と言っていただきました。食通で知られる方々にも完食していただき、感激しました。
ローストビーフの後には、「牛肉しぐれ煮と温度卵の“T・K・G”も旨かったです。手前味噌ですが、わたしは「松柏園の料理はやっぱり美味しいなあ」と思った次第です。
北九州市のインバウンドには、松柏園も「食」で貢献したいです。
明日は、早朝からスターフライヤーで東京へ出張します。



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2017年5月25日 佐久間庸和

ドラッカーの教えを生かそう!  

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東京に来ています。26日、互助会保証株式会社の役員会に出席します。
25日の夕方、サンレーグループ報「Ray!」5月号が発行されました。
リアルタイムで、わたしの最新メッセージをお伝えいたします。
タイトルは、「ドラッカーの教えを生かし、第二創業期に大いに発展しよう!」です。


「Ray!」2017年5月号



●MBAの前での特別講義
先日「齋藤アカデミー」で特別講義をしました。社会起業大学・九州校が主催する、これからのリーダーを育成する私塾です。受講生のほとんどがMBAの取得者です。北九州市立大学の経済学部長などを務められた齋藤貞之先生が立ち上げたユニークな学校です。そこで、わたしはドラッカーのマネジメントについてお話しました。
「マネジメントの父」とも呼ばれたドラッカーこそは、世界最高の経営思想家でした。経営学そのものの創始者でもあります。世界のビジネス界に最も影響力を持つ思想家であり、「マネジメント」という考え方そのものを発明しました。また、偉大な経済学者ヨーゼフ・シュンペーターの流れを受け、「イノベーション」の重要性を強調するとともに、マネジメントに関わる「分権化」「目標管理」「経営戦略」「民営化」「顧客第一」「情報化」「知識労働者」などの理念の生みの親で、それらのコンセプトを自ら発展させてきました。



ドラッカー理論を導入
 世界最大の大企業の1つであるGEのCEO(最高経営責任者)に就任したジャック・ウェルチは「選択と集中」を取り入れて大成功、一躍カリスマ経営者となったことはよく知られています。ウェルチがGEのCEOになって最初に行ったことは、クレアモントのドラッカーを訪問し、経営戦略のアドバイスを受けることでした。ウェルチのみならず、世界にはドラッカーを信奉する経営者が数多く存在します。日本でも、ソニーの故盛田昭夫氏、出井伸之氏、イトーヨーカドー伊藤雅俊氏、富士ゼロックス小林陽太郎氏、ファーストリテイリングユニクロ)の柳井正氏など、多数の経営者がドラッカーに共感し、こうした方々は「ドラッカリアン」と呼ばれています。わたしも、2001年に社長に就任して以来、ドラッカーの経営理論を導入して会社の経営にあたってきました。



ドラッカーとの出会い
わたしが社長に就任したとき、まだ38歳の若輩でした。1000人を超える社員を抱え、さまざまな経営的課題を抱えたままの船出に心は不安で一杯でした。何しろ、私の判断ミス1つで、社員およびその家族を含めた数千人の方々が路頭に迷うわけですから、ストレスで眠れない夜もありました。そんな夜にふと読みはじめたのが、経営のバイブルとされていたドラッカーの著書でした。目から鱗が落ちたような気持ちになり、それから1ヶ月以内に30冊におよぶ彼の著書は全部読破しました。そして、それによって当社を良くするヒントが毎日のように思い浮かびました。わたしはそれを片っ端から実行に移し、おかげさまで業績は見違えるように良くなりました。本当に、ドラッカー先生にはいくら感謝しても、し足りません。



●人類史上最高の「経営通」
ドラッカーの本は、経営についての教え以前に、人間としての基本をビシッと教えてくれます、それは、『論語』にも通じるものです。そう、孔子ドラッカーはよく似ています。両者の間には2000年を超える時間が流れていますが、孔子は人類史上最大の「人間通」、ドラッカーは最高の「経営通」だと思っています。孔子は古代のドラッカーであり、ドラッカーは現代の孔子であると言えるかもしれません。理想の政治を説いた孔子、理想の経営を説いたドラッカー・・・・・・ともに、社会における人間の幸福を追求したのです。
わたしが何より、「すごいぞ!ドラッカー」と思うのは、あらゆる経済学者や経営学者たちが従業員を「コスト」としてしか見なかったのに、ドラッカーだけは「資産」として初めて見たことです。これはとんでもない大発見というか発想の転換です。結局、ドラッカーのすごさは、世界に「意味」という魔法を与えて、人類社会を良い方向に導く考え方を示したことです。



●新しいマネジメントの地平を
かつて苦境にあえいでいたわが社は、「選択と集中」「知識化」「イノベーション」をはじめとする数々のドラッカー理論導入により、経営内容が格段に改善しました。
製造業を中心としたマネジメントが主流の中で、サービス業それも冠婚葬祭業という超ソフトな産業においてドラッカー理論がこれほど的確に応用できたのは奇跡に近いと自分でも思います。しかし、その一方で、「人が主役」というドラッカー思想と「人間尊重」という当社のミッションが根底で合い通じていたため当然だという思いもあります。ドラッカーの唱える「知識化」を「すべての産業は知識化しうる」と私流に解釈し、当社ではことあるごとに「知識」の大切さを社員に訴え続けてきました。そのおかげで、ISO9001も業界で最初に取得しましたし、一級葬祭ディレクター試験の合格者数も日本一となることができました。
典型的な労働集約型産業であると考えられていた冠婚葬祭業を知識集約型産業へと発展させ、さらには「思いやり」「感謝」「感動」「癒し」といったポジティブな心の働きが集まった精神集約型産業へと高めたいです。そして、超高齢化社会において多くの方々が「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持ち、心ゆたかに生きていただくお手伝いがしたい。それは、ドラッカーの考えた「人の幸せ」とも直結し、彼の視線とそのベクトルは同じであると確信します。第2創業期を迎え、さらなる新しいマネジメントの地平を開きたいと思います。


新たなる創業期の始まりに
      ドラの音鳴らし前に進まん  庸軒


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2017年5月26日 佐久間庸和

『永遠の0』  

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連載100回達成記念に、過去の「ハートフル・ブックス」をご紹介しています。
第60回目は、「サンデー新聞」2013年2月2日号に掲載されました。
わたしは、『永遠の0』百田尚樹著(講談社文庫)を紹介しました。


「サンデー新聞」2013年2月2日号



大ベストセラーにして超ロングセラーの小説です。放送作家でもある著者の筆力に圧倒され、600ページ近い文庫本を一気に一晩で読了しました。
主人公は、司法試験を四年連続で落ちた佐伯健太郎という青年です。不本意ながらもニートの日々を送る彼は、ジャーナリストの姉から特攻で死んだ祖母の最初の夫について調べてほしいと持ちかけられます。「祖母の最初の夫」とは、健太郎と姉にとっての本当のおじいちゃんであり、名を宮部久蔵といいました。



暇を持て余していた健太郎は、気軽な気持ちで調査を請け負います。祖父の知人たちのもとを訪れ、話を聞くのです。しかし、終戦から60年を過ぎ、久蔵を知る人々もみな年老いていました。余命わずかな人々から話を聞くうち、飛行機乗りとして「天才だが臆病者」などと呼ばれた祖父の真の姿が次第に浮き彫りになっていきます。



久蔵は、結婚して間もない妻と、出征後に生まれた娘を故郷に残していました。
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」と言い続け、絶対に家族の元に帰るという強い信念を抱いていたのに、終戦の一週間前に、あの神風特攻隊で久蔵は亡くなってしまいます。



『永遠の0』のゼロは「零戦」のゼロです。皇紀2600年の末尾のゼロをつけた世界最高の性能を誇る戦闘機、それが零戦でした。正式名称は「三菱零式艦上戦闘機」ですが、小回りがきき、当時では飛距離が桁外れでした。ただ、悲しいのは搭乗する人間のことがまったく考えられていなかったことでした。戦闘機という機械の開発にのみ目を奪われていた大日本帝国は、兵士という人間に対する視点が決定的に欠けていたのです。



文庫版の「解説」は故・児玉清氏が書いていますが、これがまた素晴らしい名文です。最後は次の一文で終わっています。少々長いですが、以下に紹介します。
「特攻で散華した宮部久蔵26歳、彼の生きた足跡を辿る孫の健太郎も同じく26歳。日々死と対峙し、愛する者のために生き残りをかけたパイロットとして史上空前の大空の戦いに挑んだ宮部久蔵と、止むを得ずとはいうもののニートとして無為な生活を送る現代の健太郎をリンクさせた壮大なロマンは、抱きしめたくなるような宮部久蔵への愛しさを覚える中で、人間とは、戦争とは、何なのかを痛切に考えさせられる筆者渾身のデビュー作となっている」
この一文に、本書のすべてが凝縮されています。読めば必ず涙する傑作です。


永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)


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2017年5月27日 佐久間庸和

高校の同級生と東京で飲む

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26日、監査役を務める互助会保証株式会社の監査役会および取締役会に参加しました。
その後、日比谷の帝国ホテルで新聞の取材を受けた後、高校の同級生と銀座で飲みました。トップ保険サービスの野嶋社長と電通通りのイタリアン・レストランで夕食を共にしました。
メインの肉料理が美味しかったです。


メインの肉料理が美味しかった!



その後、野嶋社長がメンバーになっている交詢社のBARで飲みました。そこで御馳走になったので、次は「東京の止まり木」こと赤坂見附のカラオケスナック「DAN」に誘いました。


DANの前で、野嶋社長と・・・



DANは今月で14周年を迎えたばかりですが、わたしが贈った胡蝶蘭が飾られていました。相変わらず満員で、わたしたちが入店した後も、大手ゼネコンのみなさんが団体で入店していました。わたしはつねづね全国各地の飲食店から「福の神」などと呼ばれているのですが、この日もそれを実感しました。今夜、わたしも野嶋社長もサザンオールスターズのナンバーを歌いました。地元の小倉でも親しくしている同級生と東京で飲めて、嬉しかったです。


14周年記念の胡蝶蘭が・・・・・・



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2017年5月27日 佐久間庸和

『パイの物語』  

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連載100回達成記念に、過去の「ハートフル・ブックス」をご紹介しています。
第61回目は、「サンデー新聞」2013年3月2日号に掲載されました。
『パイの物語』上・下巻 ヤン・マーテル唐沢則幸訳(竹書房文庫)を紹介しました。


「サンデー新聞」2013年3月2日号



大きな話題を呼んだ映画「ライフ・オブ・パイ」の原作です。ラテンアメリカ文学のいわゆる「魔術的リアリズム」作品で、世界的な文学賞として知られる「ブッカー賞」に輝きました。インド系カナダ人パイ・パテルの数奇な運命が描かれています。1976年、インドで動物園を経営していたパイの一家は、カナダへ移住することになります。一家と動物たちを乗せた船は、太平洋上で嵐に襲われて難破してしまいます。




家族の中で1人だけ生き残ったパイは、命からがら小さな救命ボートに乗り込みます。ところが、そのボートには、シマウマ、ハイエナ、オランウータン、ベンガルトラも乗っていた。ほどなく動物たちは次々に死んでいき、ボートにはパイとベンガルトラだけが残ります。肉親を亡くして天涯孤独となった身の上に加え、残りわずかな非常食と、あろうことか空腹のトラが自身の命を狙っている。16歳の少年パイは、まさに絶体絶命です。そのような極限状況の中で、想像を絶する227日の漂流生活が始まるのでした。



本書を読んで、わたしが真っ先に考えたのは「礼」の問題でした。
227日もの漂流生活を共にしたパイとトラですが、最後にトラは何ごともなかったかのようにパイのもとを去っていきます。トラの名前はリチャード・パーカーというのですが、彼は「さよなら」も言わずに、漂着した場所に消えていったのでした。



本書には、そのときのパイのようすが次のように書かれています。
「ぼくは子どものように泣きじゃくった。自分がこの苦しい試練を乗り越えたことで感極まったからではない。たしかに感動はしていた。あるいは、人々が目の前にいるからでもない。それにもひどく心を動かされはした。でも、ぼくが泣いたのは、リチャード・パーカーがろくに挨拶もしないで行ってしまったからだ。別れを台無しにするなんて、ひどいやつだ」



パイは、苦楽を分かち合ったトラに「お別れの挨拶」をしてほしかったのです。もちろん、動物であるトラが挨拶などするはずもありませんが、この場面を観て、わたしは「礼」が「人間尊重」の別名であることの見事な証明になっていると思いました。そう、「礼」とはきわめて、そして、どこまでも人間的な問題であるということを再認識しました。
何よりも、本書はとびきり面白い冒険小説です。そして荒唐無稽な物語でありながら、人間が生きる上で最も大切なことを考えさせてくれる哲学小説です。


パイの物語(上) (竹書房文庫)

パイの物語(上) (竹書房文庫)

パイの物語(下) (竹書房文庫)

パイの物語(下) (竹書房文庫)


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2017年5月28日 佐久間庸和


金沢営業所訪問

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29日の午後、福岡発のANA3186便で小松空港に到着しました。
迎えの車に乗ったわたしは、そのまま金沢方面に向かいました。
向かう先は、JR金沢駅に近いサンレー北陸の金沢営業所です。


JR金沢駅のすぐ近くです

金沢営業所の前で

営業所内のようす

営業所内のようす



金沢営業所には、ブログ「有縁凧」で紹介した弊社リジナル凧や、ブログ「四徳ハンカチ」で紹介した「仁」「義」「礼」「智」と書かれたタオルハンカチ、さらには年頭所感などが飾ってありました。もちろん、予算目標や実績グラフなども壁に貼ってありました。
「互助会は募集にはじまり、募集に終わる」とされていますが、この営業所こそが会社のエンジンです。わたしは、営業所長や営業員さんたちといろいろ話をしました。


加入者相談センターの前で

相談センター内のようす



それから、互助会の加入者相談センターを訪れました。
大変きれいなスペースで、ヒーリング・ミュージックが流れていました。
待合室のテーブルの上には、「サンデー毎日」最新刊が置かれていました。
ここでも、責任者やスタッフのみなさんと話しました。互助会業界はいま大きな過渡期にさしかっていますが、現場の声を聴くと、さまざまなヒントを与えられます。
第二創業期を迎え、今後は各地の営業所や相談室をガンガン回ろうと思っています。
これまではブログなどを介して社員のみなさんとコミュニケーションを図ってきましたが、これからは社長が直接みなさんのもとを訪れます。どうぞ、よろしく!



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2017年5月29日 佐久間庸和

北陸へ!

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29日の朝、迎えの車に乗って福岡空港へ。
そこからANA3186便に乗って、小松空港へ向かいました。
明日、全互連の中部ブロックの理事会、研修会、懇親会がマリエールオークパイン金沢で開催されます。わたしは、全互連会長と当番互助会代表という2つの立場で参加します。


福岡空港の前で

ANA3186便で小松空港

小さな飛行機に乗りました

小さな飛行機の窓からの眺め



ANA3186便は小さい飛行機でしたが、最前列の通路側に座ったので、少しだけ楽でした。
機内では読書をしました。最近、話題の『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』ケント・ギルバート著(講談社+α新書)です。赤線を引きながら、じっくり読みました。


興味深い内容でした

ただし、疑問点も多いです

ベストセラーになっているだけあって、興味深い記述も多かったですが、「?」と思う箇所も多く、全体的に儒教を曲解した中韓へのヘイト本のようにも感じました。基本的に、モルモン教徒である著者が儒教のことを否定的にとらえている印象が強いです。この本の感想は、いずれ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」でしっかり書くつもりです。約1時間10分のフライトを経て、小松空港に到着しました。これから、サンレー北陸の営業所を回る予定です。


飛行機が小松空港に到着しました

小松空港の前で



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2017年5月29日 佐久間庸和

『背負い続ける力』 

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連載100回達成記念に、過去の「ハートフル・ブックス」をご紹介しています。
第62回目は、「サンデー新聞」2013年4月6日号に掲載されました。
わたしは、『背負い続ける力』山下泰裕著(新潮新書)を紹介しました。


「サンデー新聞」2013年4月6日号



わたしの「一条真也」というペンネームは、梶原一騎原作のテレビドラマ「柔道一直線」の主人公「一条直也」にちなんだものです。わたしは講道館で修行した父の影響で、幼少の頃から柔道の稽古に励みました。高校時代には二段を取得していますが、いずれ稽古を再開し、三段を目指したいと思っています。



しかし、いったい最近の日本柔道はどうしてしまったのでしょうか?
金メダリストのセクハラ問題に続き、全日本女子監督のパワハラ問題・・・まったく、講道館創始者である嘉納治五郎があの世で嘆いているはずです。
そんなとき、わたしが思い浮かべる理想の柔道家こそ、本書の著者である山下泰裕氏です。



1984年のロサンゼルス五輪で無差別級の金メダルに輝いたのみならず、引退から逆算して203連勝、また外国人選手には生涯無敗という大記録を打ち立てました。85年に引退されましたが、偉大な業績に対して国民栄誉賞を27歳で受賞されています。
昨年の秋にご本人にお会いしましたが、非常に謙虚な方で、その人間性に感銘を受けました。もともとファンでしたが、ますます好きになりました。



本書は、「史上最強の柔道家」と呼ばれる著者の人生論です。
「期待を背負う」「日本を背負う」「家族を背負う」「柔道を背負う」「教育を背負う」「世界を背負う」という六章から構成されています。「背負う」が本書の一貫したキーワードであるわけですが、「はじめに」で、著者は「人間は『自分のため』だけを考えている時には、大した力を発揮できない。家族のため、恩師のため、日本のためと、自分よりも大きなものを背負っている時にこそ、ずっと大きな力が出せる」と述べています。



これはまさに、自分を支え応援してくれる人々に対する「感謝の心」、お客様など自分以外の人々のために行動するという「利他の精神」そのものです。これを発揮することで、人生における素晴らしい成果を収めることができるのです。



また、特に印象に残ったのは、創始者である嘉納治五郎が説いた「精力善用」と「自他共栄」の精神を語った部分です。嘉納は「柔道で大事なのは精力善用である。自分のエネルギーを、よきことに使いなさい。そして、自他共栄である。自分だけでなく他人も共に栄える世の中を、柔道を通じて作っていこう」と訴え続けたのです。この言葉、セクハラやパワハラで身を滅ぼした柔道関係者は、どのような思いで聞くのでしょうか。


背負い続ける力 (新潮新書)

背負い続ける力 (新潮新書)


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2017年5月28日 佐久間庸和

自分のお墓をどうするか  

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金沢に来ています。30日、全互連の中部ブロック研修会がマリエールオークパイン金沢で開催されます。わたしは、全互連会長と当番互助会代表という2つの立場で参加します。
さて、30日に「サンデー毎日」2017年6月11日号が発売されます。
表紙の人物は、三宅裕司さんです。わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。第82回目のタイトルは、「自分のお墓をどうするか」です。


サンデー毎日」2017年6月11日号



中国に行ってきました。兵馬俑を見学した翌日、西安から上海に向かいました。上海で訪れたのは、中国初の大型公園墓地である「福寿園」です。1995年に開園した福寿園は、上海市と民間企業である福寿園国際集団との第三セクター方式で造られています。土地を上海市が提供し、墓園の造成と販売を民間が行うというスタイルです。



23.3ヘクタールの広大な面積の霊園は多くの植栽と四季の花々に包まれ、あちらこちらで水の流れる水路や噴水も目にすることができます。
「東洋で最も美しい霊園」と呼ばれ、故人の銅像がたくさん立ち並ぶ。施設としては儀式ホール、レストラン、納骨堂、博物館などがあります。



また、樹木葬はもちろん、花壇の土に遺灰を撒いた「花葬」、レンガの壁を墓標代わりにした「壁葬」、ステンドグラスを墓標にした「ガラス葬」などの多様なスタイルがあって、興味深かったです。唯物論共産国家である中国に、このような立派な霊園が存在することは、人間には死者を弔う本能があるのではとさえ思います。



日本では、お墓の継承者が減り、お墓の在り方が大きく変化しています。「自分のお墓をどうするか」考えざるを得ない時代になりました。お墓が「家墓」から「個人墓」に変化してきている。つまりお墓が「家」のものから、「個人」のものに変容してきているのです。かつてはお墓の中に、いくつもの遺骨が入っているのは当たり前でした。長男の嫁であれば、死んだら嫁ぎ先の墓に入ることに誰も疑問を持ちませんでした。



しかし、今はどうでしょうか。「死後は、夫と同じお墓に入りたくない」という女性が増えています。また長男といえども、先祖のお墓ではなく自分らしいお墓に入りたいと願う人も多いです。お墓も大家族型から、核家族化してきたということです。
ここには少子高齢化無縁社会の問題も含まれています。そのへんの事情は拙著『墓じまい・墓じたくの作法』(青春新書インテリジェンス)をご一読あれ!


サンデー毎日」2017年6月11日号の表紙



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2017年5月30日 佐久間庸和

中部ブロック研修会

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この記事は、当ブログの1990本目の記事です。
金沢に来ています。わが社の「マリエールオークパイン金沢」において、30日の13時半から全互連中部ブロックの理事会、14時からは研修会が開催されました。


マリエールオークパイン金沢の前で

全互連中部ブロック研修会に参加しました



全互連は、冠婚葬祭互助会の保守本流です。
冠婚葬祭互助会とは、その名の通りに「相互扶助」をコンセプトとした会員制組織です。終戦直後の1948年に、西村熊彦という方の手によって、日本最初の互助会である「横須賀冠婚葬祭互助会」が横須賀市で生まれました。そして、横須賀から名古屋へ、さらには静岡へと、全国に広まっていきました。いわゆる「平安閣グループ」と言われてきた互助会集団が全互連なのです。そして、中部ブロックこそは「全互連のヘソ」といえるでしょう。


研修会の冒頭で挨拶をしました



研修会の冒頭で、わたしは当番互助会の代表として挨拶しました。
まずは、「ようこそ、金沢へ!」と言ってから、以下のように挨拶しました。
「今回、全互連中部ブロック研修会の当番互助会を務めさせていただきますサンレーの代表として、また、全互連会長としても、ご多用のなか、ご参加をいただけましたことに厚く御礼申し上げます。先月開催された「中部ブロック拡大キャンペーン表彰式」しかり、今回で208回目を迎える、この研修会しかり。全互連は互助会業界の保守本流でありますが、その全互連を牽引するのは、やはり中部ブロックなのだということを改めて痛感しております。今回も実りの多い研修会となりますよう、当番互助会として進行してまいります」


金沢について話しました



それから、わたしは金沢について述べました。
「さて、金沢といえば、皆さんもご承知のとおり、2015年3月に北陸新幹線が開業しました。日本政策投資銀行北陸支店では、北陸新幹線開業後の1年間で県内の経済波及効果が約678億円に上ったと試算しています。日本人観光客の増加に加え、インバウンド(訪日外国人観光客)効果も大きく、『今後も同程度の経済効果は続くだろう』と分析していましたが、2年目も堅調に推移しているようです。
今年のゴールデンウイークに金沢市兼六園金沢城公園、21世紀美術館を訪れた人がそれぞれ約12万から13万人を超えたようですが、2015年春の北陸新幹線の金沢延伸開業前の5年間と比べると、兼六園の1日平均入園者数は1・5倍となっています」


文化産業としての冠婚葬祭業を語りました



続けて、わたしは以下のように述べました。
「大きな経済効果が生まれた一方、『金沢らしさ』が失われることへの懸念も指摘されています。たしかに、金沢や近郊の観光入り込み客数は2015年に初めて1000万人を超え、シティーホテルの稼働率は大きく上昇し、オフィスの空き室率も大きく減少しています。その一方で宿泊料金の高騰による印象の悪化や悪質なキャンセルの増加、交通渋滞や観光客が民家をのぞき見るなど、生活環境の影響を懸念する声も上がっています。
考えてみれば『冠婚葬祭』という文化は地域性を特質として継承されてきたものです。
これからも会員様はもとより地域からも信用される『三方よし』の担い手として『かけがえのない存在』を目指したいものです。今回、弊社の運営で至らぬところがございましたら、忌憚のないご意見を賜れれば幸いです。どうぞ、よろしくお願いいたします」


ご用意した昼食が好評でした

おやつも好評でした



それから3時間以上にわたって、濃密な研修会が行われました。
全互連の中部ブロック研修会に参加すると、本当に勉強になります。
司会は美声の西課長で、わが社からは議長を務めた佐久間室長、小久保取締役、岸部長、郡支配人、玉谷支配人、市原課長らも参加しました。
ご用意した昼食に続いて、おやつの菓子籠も非常に好評でした。
何人かの方からはインスタをUPしていただきました。恐縮です。
わたしも2000本になったら、このブログをやめて、インスタに乗り換えようかな?
もう、ブログの時代じゃなさそうだしな・・・俺も、アップデートしないとな!(苦笑)


懇親会の冒頭でも、挨拶しました

波平と同い年になりました!



それから、会場を変えて懇親会が開催されました。
冒頭、挨拶に立ったわたしは「この中部ブロックでは年長者が挨拶をするそうですね。わたしも若い若いと自分では思っていましたが、先日、54歳になりました。人からは『若いですね』などと言われるのですが、『サザエさん』の波平と同じ年齢と知って、ショックを受けています。ちなみに、フネは52歳、サザエは24歳だそうです。あと何年生きられるかわかりませんが毎日を残りの人生の第一日目と思って、一日一日を真剣に生きていきたいと思います。御指導下さい!」と言いました。つまらない話にもかかわらず、盛大な拍手を頂戴しました。


懇親会料理の先付

能登牛ステーキ

握り寿司。北陸名物ノドグロあり!

最後のスイーツ



おかげさまで、懇親会の料理も好評でした。
先付をはじめ、能登牛のステーキ、北陸名物ノドグロが入った握り寿司、最後のスイーツまで、みなさん、全品を「美味しい!」と言っていただきました。全国の食通の方々からグッドコメントを頂戴して、まことに光栄です。


二次会でカラオケを歌いました♪

三次会でカレーうどんを食べました



その後、二次会では片町のカラオケラウンジを訪れ、カラオケ好きの連中の熱気に押されて、わたしは矢沢永吉の「時間よ止まれ」、サザンオールスターズの「太陽は罪な奴」、そして最後に北島三郎の「まつり」を歌いました♪ 歌うと腹が減ったので、三次会でカレーうどん能登牛コロッケを食べました。うー、今日は食べ過ぎた。磯野波平と同い年の者としては完全にカロリーオーバーで、胃が重い。しかしながら、志をともにする仲間と酒を飲み交わし、語り合う時間はかけがえのないひとときでした。全互連最高!



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2017年5月31日 佐久間庸和

営業推進部総合朝礼

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この記事は、当ブログの1992本目の記事です。
6月1日、の朝、サンレー本社で総合朝礼が行われました。ラジオ体操、社歌斉唱に続いて、社長訓示を行いました。わたしは、先日の中国視察で訪れた兵馬俑の話題に触れ、「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」が人生を美しく修める真髄であるという話をしました。


拍手の中を入場しました

営業推進部総合朝礼のようす(一同礼!)

全員で社歌を斉唱♪



総合朝礼の後は、北九州本部会議が開催されました。
そして、13時半から松柏園ホテルで開催された営業推進部の総合朝礼に参加。全員で社歌を斉唱し、経営理念を唱和した後で、社長訓話を行いました。第二創業期を迎えての重要なメッセージを営業員のみなさんに伝えなければいけません。


社長訓話を行いました



ブログ「新年祝賀式典」で紹介した社長訓示でも話した内容を繰り返しました。
サンレーグループは冠婚葬祭業です。結婚式と葬儀は人生の二大儀礼であるとされますが、結婚式とは新郎新婦の魂を結ぶ「結魂式」、葬儀は故人の魂を永遠の世界へと送る「送魂式」です。冠婚葬祭業とは「魂のお世話業」なのです。この世に賤しい仕事つまり賤業というものはないはずですが、聖なる仕事つまり聖業というものは確実に存在します。そして、魂のお世話というわたしたちの仕事が聖業でなくて、何が聖業でしょうか?
この上ない聖業に従事するにあたって、わたしたちは「儀式によって人々を幸せにする」という高い志を抱いています。こんな会社が他にあるでしょうか?


儀式によって人々を幸せにする!



昨年、わが社の志は冠婚葬祭互助会業界全体に広く届きました。
ブログ「不滅の業界」で紹介したように、全国の多くの互助会さんから拙著『儀式論』(弘文堂)をご購入いただいたのです。同書でも力説しましたが、わたしは儀式を行うことは人類の本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたはず。それは先日訪問した中国でも痛感しましたが、その本能をサポートするのものこそ互助会です。


互助会は「修活クラブ」である!



それから、わたしは「互助会は『修活クラブ』である」と述べました。
現在、世の中には「終活ブーム」の風が吹き荒れています。
しかし、もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。正直に言って、わたしは「終末」という言葉には違和感を覚えます。そこで、「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。


「修める」覚悟を忘れるな!



よく考えれば、「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」であるという見方ができます。学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活だからです。そして、人生の集大成としての「修生活動」があるわけです。かつての日本人は、「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」ということを深く意識していました。これは一種の覚悟です。いま、多くの日本人はこの「修める」覚悟を忘れてしまったように思います。


人は必ず老い、そして死ぬ



ずいぶん以前から「高齢化社会」と言われ、世界各国で高齢者が増えてきています。各国政府の対策の遅れもあって、人類そのものが「老い」を持て余しているのです。特に、日本は世界一高齢化が進んでいる国とされています。しかし、この国には、高齢化が進行することを否定的にとらえたり、高齢者が多いことを恥じる風潮があるようです。それゆえ、高齢者にとって「老い」は「負い」となっているのが現状です。人は必ず老い、そして死にます。「老い」や「死」が不幸であれば、人生はそのまま不幸ということになります。これでは、はじめから負け戦に出るのと同じではないですか。


葬儀とは「人生の卒業式」



そもそも、老いない人間、死なない人間はいません。
死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生を美しくするのではないでしょうか。そして、互助会とは、会員様が美しく人生を修めるための大いなる「修活クラブ」です。わが社の「サンクスフェスタ」「ともいき倶楽部」「隣人祭り」・・・・・・その他、多くのイベントや行事によって、さまざまな体験をし、新しい仲間を得て、豊かな人生を送っていただくお手伝いをしたいものです。何よりもサンレーに入会することによって、自らの葬儀に備えることが非常に重要です。そのとき、会員様は「人生を卒業する覚悟」を自然に抱くからです。


この仕事に最高の誇りを・・・



この秋には松柏園ホテルの新館である「VILLA LUCE」がオープンします。まったく新しい結婚式場として、北九州のブライダル・シーンに一大旋風を起こすはずです。紫雲閣もどんどん建設する予定です。さらには、セレモニーホールの新ブランドである三禮庵がもうすぐオープンします。第二創業期を迎えて、サンレーグループはさらに新たなチャレンジを続けます!
最後に、わたしは「互助会営業は『人の道』という最高に価値のあるものを売る仕事です。この仕事は単なる生活の糧を得る仕事でなく、『人助け』であり『世直し』そのものです。どうか、この最高の仕事に誇りをもって下さい!」と述べました。営業員さんたちから盛大な拍手を頂戴し、わたしの胸は熱くなりました。


決意表明を笑顔で聴く

応援団長によるエール?

シュプレヒコールではありません!

安心して下さい、やりますよ!

決意表明を真剣に聴く

太鼓で盛り上がりました

エイエイオー!!

決意表明の後で講評を述べました



社長訓話の後は、各営業所長およびブロック長による決意表明が行われました。北九州だけで3ブロック・17営業所あるのですが、それぞれに趣向を凝らした決意表明でした。
営業所長の音頭に合わせて、営業員さんたちが声を揃えたり、拳を突き出したり、「完達」などと書かれた団扇を振ったりしました。なんと、太鼓を持ち出して所員を鼓舞する営業所長もいました。すべての決意表明が終わった後、わたしは「素晴らしい決意表明でした。なによりも明るいのがいい。新体制になって営業推進部が明るくなったようですね。営業に限らず、仕事というのは『嫌だ』『面倒臭い』『やりたくない』などとネガティブに考えると、どんどん悪い方向に転がるものですが、何事も陽にとらえて、前向きに明るくしていれば必ず好転します。みなさんは明るくて素晴らしい! 必ず、やれます!」と講評を行いました。


和のこえ」を行いました

拍手の中を退場しました



その後は、玉中取締役の音頭で「和のこえ」を行いました。
わたしたちは、手をつないで「ガンバロー!」と3回唱和しました。
わたしは、「この勢いがあれば、第二創業期は必ず飛躍できる!」と思いました。
ブログ「金沢営業所訪問」で紹介したように、3日前にはサンレー北陸の金沢営業所を訪問し、営業所長や営業員さんたちと語り合いました。今後も、各地の営業所や相談室をガンガン回ろうと思っています。これまではブログなどを介して社員のみなさんとコミュニケーションを図ってきましたが、これからは社長が直接みなさんのもとを訪れます。どうぞ、よろしく!



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2017年6月1日 佐久間庸和

サンクスフェスタ北九州

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この記事は、当ブログの1991本目の記事です。
今日から6月です。この前、正月が来たと思っていたのに!
さて、イベントのサンレーが、6月4日(日)に感謝の集いを開催いたします。
そうです、「サンクスフェスタinサンレーグランドホテル」です。
今年も盛りだくさんの内容です。ご来場をお待ちしています!



サンクスフェスタinサンレーグランドホテル
【開催日】6月4日(日)
【時 間】10:00〜16:00 入場無料
【会 場】サンレーグランドホテル
     北九州市八幡西区大膳1丁目2−1 
     TEL:093−601−1000



■立川生志 落語独演会
【Profile】
1963年生まれ 福岡県筑紫野市出身/1988年 立川談志に入門、「笑志」を拝名/1997年 二ツ目昇進/2008年 真打昇進。立川生志に改名/2013年 『立川生志らくごLIVEひとりブタ ワールドツアー2013』開催。パリ、ニューヨーク、ボストン、各地で好評を博した。立川生志落語会『ひとりブタ』シリーズを各地で開催中。
【テレビ・ラジオの主な出演】
RKBテレビ「夕方どんどん」「今日感テレビ」「味わいぶらり旅」/RKBラジオ「はだか一貫金曜ばん」「今夜はかなりE」「オトナの学校」「開店!ウメ子食堂」他多数出演。

●第1部 11:00〜12:00
●第2部 14:00〜15:00
※当日、座席は受付にて先着順となります。
 受付にて入場券を座席指定券にお引換下さい。

第1部・第2部 合計1,000名様に入場券プレゼント!!
入場券のお申し込みお問い合わせは最寄りの各サンレー営業所まで
・折尾営業所  TEL:093−691−3030
・若松営業所  TEL:093−761−5964
・八幡営業所  TEL:093−622−5463
・福岡東営業所 TEL:0940−35−3099



■お楽しみ大抽選会開催!
 豪華景品が当たる!!空クジなし!
 ご来場の方全員にご参加いただけます。

■人形感謝供養祭
ご家庭で不要になった人形の供養です。
 受 付   10:00〜13:00
 御供養神事 13:00〜13:30
※供養が出来ない物
ガラスケース/ぼんぼり/屏風/人形のお道具飾り棚/仏像など

■入棺体験
 入棺体験は、自分の人生を振り返り、見つめ直すきっかけを与えてくれます。
 生と死を身近に感じて、残りの人生を輝かせましょう!

社会福祉施設バザー
 市内の社会福祉施設によるお菓子や雑貨のバザー

■販売コーナー 〜売り切れご免の超人気イベント!!
 ●新鮮野菜販売 〜新鮮な地物野菜を一堂に!
 ●生花販売 〜人気の切り花販売!
  【タイムトライアル】
   (1)10:00〜 (2)12:00〜 (3)13:00〜

■当日、互助会にご入会の方へご入会特典
調味料セット、コーヒーセットのいずれかプレゼント!

■話題の本、抽選で10名様にプレゼント!! 
人生の修め方』 一条真也著(日本経済新聞出版社
人生100年時代。いつまでもポジティブでありたい人に贈るヒント集。「終活」から「修活」へ―。人生を深めていくという楽しみを与えてくれる一冊。豊かに老い、美しく人生を修めるためのブックリスト50冊付き!日経電子版連載の大人気コラムが書籍化!

人生の修め方

人生の修め方

【応募方法】
官製ハガキに(1)本のタイトル(2)郵便番号(3)住所(4)氏名(5)電話番号をご記入の上、下記迄お送り下さい。
※当選は発送をもって代えさせて頂きます。
2017年6月20日(火)消印有効
〒802−0022 北九州市小倉北区上富野3−2−8 
(株)サンレー 『人生の修め方』進呈S係



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2017年6月1日 佐久間庸和


お元気で!

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この記事は、当ブログの1994本目の記事です。
今日は金曜日なので、ロータリーのある日です。わたしは、「リーガロイヤルホテル小倉」で開催された小倉ロータリークラブの例会に参加しました。今日は「クラブ活動報告」の日ですので、わたしはクラブ会報委員長として報告をしなければなりません。


本日の例会のようす

誕生日&結婚記念日を祝いました



月初の例会では、誕生日祝いと結婚記念祝いが行われます。
メンバー全員で「誕生日の歌」と「結婚記念日の歌」を歌い、ウーロン茶で乾杯しました。
こうやってクラブのメンバー全員で祝い合うのは素晴らしいことです。わたしは、「祝う」という営み、特に他人の慶事を祝うということが人間にとって非常に重要なものであると考えています。ハートフル・ソサエティとは、「おめでとう」と「ありがとう」が活発に行き交う社会です。ですから、雨が降ろうが風が吹こうが、毎月必ず「おめでとう」と「ありがとう」を全員で言い合っているロータリークラブは、「ハートフルクラブ」でもあるのです。


「クラブ活動報告」をしました



「クラブ活動報告」で演壇に立ったわたしは、「こんにちは! クラブ会報委員長を拝命している佐久間です」と挨拶してから、1年間の活動報告を行いました。
まず、「本年度活動実績」としては、メンバーのご協力により、クラブ活動の正確な記録としてクラブ会報(週報)を遅延なく発行できました。確立された今日のスタイルを継続できました。
また、表紙の写真を会員から募集し、載せることができました。
毎週素敵な写真をご提供いただいた辰巳会員には心より感謝申し上げます。
さらに、クラブ活動記録をクラブ会報に集約し、電子データとして保存できました。


小倉ロータリークラブの活動を発信してきました



「実施出来なかった事項」としては、ITや既存媒体を通した外部広報活動を目指し、本当はクラブとしてブログを立ち上げたかったのですが、できませんでした。
当ブログ、すなわち、会報委員長の個人ブログの発信にとどまりました。
そして「申し送り事項」としては、ITや既存媒体を通した外部広報活動をもう一度検討し、クラブの活動を多くの方に知っていただき、ロータリー活動の認識を深めていただきたいです。


広報責任者としての任を終えました



わたしは当ブログを通じて小倉ロータリークラブの活動や魅力を発信し続けてきたわけですが、会報委員長すなわち広報責任者でなくなれば、もう必要ありません。ロータリー・ブログは、今回をもって終了したいと思います。ご愛読、ありがとうございました。
例会終了後、数人の会員の方々から「これまでブログで紹介してくれて、ありがとう」「佐久間さんのブログを読むのが何よりの楽しみでしたよ」「地方のクラブが全国的に有名になったのは、あんたのおかげだよ」などの過分なお言葉をいただき、胸がいっぱいになりました。


3人の方々が退会されました


それから、今日は2名の新入会員と3名の退会会員の挨拶がありました。
退会会員の中には、当クラブの重鎮もいれば、アイドルもいれば、中国通もいました。
大先輩もいれば、高校の同級生もいれば、サザンのカラオケ仲間もいました。
いずれも親しくさせていただいてきた方なかりで、とても寂しく思いました。
お三方のスピーチは、素晴らしい別れの挨拶でした。しみじみと感動しました。
その後、「送別の歌」をみんなで歌いました。わたしは他のロータリークラブに12年在籍しましたが、こんな歌はありませんでした。大手企業の支店長さんが多い小倉クラブでは、転勤による退会が多いです。そのため、このような歌で送り出す伝統があるのでしょう。


みんなで「送別の歌」を歌いました♪



「送別の歌」の最後は、「健やかなれよ、いざ、さらば」というフレーズを繰り返しました。わたしは「仰げば尊し」の最後でも「いざ、さらば」と歌うことを思い出しながら、センチメンタルな気分になりました。このような「送る文化」のあるクラブというのは素晴らしいと思いました。
みなさん、ご縁をありがとうございました。どうか、いつまでもお元気で!



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2017年6月2日 佐久間庸和

第32回「笑いの会」

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この記事は、当ブログの1993本目の記事です。
気づけば6月です。時の流れの速さを痛感します。
さて、サンレーは、「ともいき倶楽部」を主宰しています。
「元気になった」「健康になった」と、おかげさまで大好評です。
次回は、6月8日(木)にイベントを開催いたします。ふるってご参加下さい!



「笑って長寿!笑って健康!」
ともいき倶楽部
第32回笑いの会
「懐かしい昭和歌謡健康法」
パンダモンキーズさん初登場!
誘って、笑って、お互いに健康でイキイキ過ごしましょう



【開催日】6月8日(木)
【時 間】10:30〜12:00
【参加費】500円(税込)
【会 場】平成の寺子屋天道館
小倉北区上富野3丁目15−12



お問い合わせご予約はこちら
サンレー総合研究所内 ともいき倶楽部事務局
TEL093−551−3187
受付時間/9:30〜17:00(土日祝日を除く)



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2017年6月2日 佐久間庸和

『実践・快老生活』

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この記事は、当ブログの1995本目の記事です。
3日、「サンデー新聞」最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第110回が掲載されています。今回は、『実践・快老生活』渡部昇一著(PHP新書)を紹介しました。なお、当ブログは2000本目の記事をもって終了いたします。今後の「ハートフル・ブックス」は、「一条真也の新ハートフル・ブログ」で紹介させていただきます。


「サンデー新聞」2017年6月3日号



私淑する渡部昇一先生が逝去されました。
「知の巨人」と呼ばれた、戦後日本言論界の第一人者でした。
不肖の弟子ですが、謹んで哀悼の誠を捧げさせていただきます。わたしは膨大な数にのぼる先生の御本はほとんど拝読していますが、2014年夏、ご本人と対談させていただき、『永遠の知的生活』(実業之日本社)という共著を上梓できたことは望外の喜びでした。同書では、渡部先生の「余生を豊かに生きるヒント」がたっぷり紹介されています。



人類の歴史の中で、ゲーテほど多くのことについて語り、またそれが後世に残されている人間はいないとされています。わたしは、ゲーテと同じく理想の知的生活を実現された、おそらく唯一の日本人であろう渡部先生に対して、『ゲーテとの対話』の著者エッカーマンのような心境でお話を伺いました。渡部先生は「95歳まで読書を続け、学び続ける」と宣言されていましたが、86歳で逝去されました。その晩年の生活について書かれたのが本書です。帯には物思いに耽る先生の顔写真とともに「ベストセラー『知的生活の方法』から40年」「86歳にして到達した『人生の至福』についての最終結論」「衰えぬ知的生活、家族、お金、健康、『あの世』のこと・・・」と書かれています。



渡部先生は「歳をとってみないとわからないことがある」として、本書において、先生が到達しえた「人生の幸福」についての考え方、そして「快老生活」すなわち「快き老いの生活」の方法について、率直にレポートしておられます。「まだ86歳という歳に到達していない人には、何らかの参考になる部分もあるのではないかと思う」と書かれていますが、本書のすべての内容が参考になりました。まさにこころ豊かに老いるためのバイブルです。



中でも最もわたしの心に残った部分は、先生が「親の恩は子に送れ」として、「先祖代々続いてきたDNAを子供に確かに渡したという実感は、安心立命の基ともなる。凡人は、孫や曾孫がいれば特別に修行しなくとも大往生できる、というのは私の年来の確信である」と述べられ、さらに以下のように喝破されたところです。
「結婚式をやらずに籍を入れるだけの夫婦や、家族を呼ばないで友達で集まって会をする夫婦もいる。しかし、できるならば、少なくとも両家の家族親類が集まった披露宴はするべきである。ささやかな披露宴もできないような結婚をしてはいけないと思う」
この「礼」の本質を説く言葉に、深い感動をおぼえました。わたしの座右の銘の1つとし、わが社の冠婚部門のスタッフにも伝えました。


実践・快老生活 (PHP新書)

実践・快老生活 (PHP新書)


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2017年6月3日 佐久間庸和

命  

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この記事は、当ブログの1996本目の記事です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「命」です。



偉大な先哲・安岡正篤は言いました。何でもないことのようで、実は自分を知り、自力を尽くすほど難しいことはない、と。自分がどういう素質能力を天から与えられているか、それを称して「命」と呼びます。それを知るのが命を知る「知命」です。知ってそれを完全に発揮していく、すなわち自分を尽くすのが「立命」です。



論語』の最後には、命を知らねば君子でないと書いてありますが、これはいかにも厳しく正しい言葉です。命を立て得ずとも、せめて命を知らなければ立派な人間ではありません。水から電気も出る。土から織物も薬品も出る。これは水や土の命を人間が知って、命を立てたものです。自然科学は、この点で大いなる苦心と努力を積んできましたが、命とはかくのごとく先天的に賦与されている性質能力なのです。いかようにも変化するもの、すなわち動きのとれないものではなく、動くものであるという意味において「運命」とも言います。運は「めぐる」「うごく」という文字なのです。



やはり偉大な先哲・中村天風は言いました。運命には二種類ある、と。すなわち「天命」と「宿命」です。天命は絶対で、宿命は相対的なものです。
現在、ミッション・マネジメントという言葉をよく聞きます。「ミッション」という言葉は、もともとキリスト教の布教を任務として外国に派遣される人々を意味する言葉でしたが、現在はより一般的に、何らかの任務を担って派遣される使節団やそうした任務のもの、あるいは「社会的使命」を意味するようになってきています。ミッション経営とは、社会について考えながら仕事をすることであると同時に、顧客のための仕事を通して社会に貢献することです。すなわち、顧客の背後には社会があるという意識を持つ経営です。



ミッションが企業価値を高める時代になってきました。
目の前の利益だけを追い求める企業よりも、社会的使命としてのミッションの意識を明確に持って活動する企業が顧客と社会によって高く評価され、発展していくことになります。その意味で、ミッションとは企業の命そのものと言えるでしょう。



ミッションを意識するのは、社長などのトップ・リーダーだけではありません。その企業の活動に携わる社員全員が共有すべきものがミッションです。第一生命営業調査役の柴田和子さんという女性がいます。保険セールス日本一を連続二十年以上も続け、ギネスブックにも掲載された驚くべき人です。ある年など、たった1人で444億円を売り上げたそうです。



柴田さんはこの仕事を始めるにあたって、まず保険のことを徹底的に勉強したといいます。その結果、保険というものがいかに大切かが身にしみてわかったそうです。これがないと、残された遺族はどうやって生活していけばいいのか。彼女は「保険がいかに大切なものか、私が心底思っていることを一生懸命説明するだけです」と語っています。



柴田さんは、顧客の家族構成を頭に入れていて、あらゆるケースを想定して保険の必要性を説くといいます。ふさわしい商品がない場合は、会社に掛け合って、その家族向けの商品を自分で設計するそうです。「私はつねに正しいことをしているという確信がありますから、お客様に自信を持って保険をすすめることができます」と断言する彼女は、自らの仕事に大いなる社会的使命を感じているのです。



ドラッカーは「仕事に価値を与えよ」と述べていますが、これはとりもなおさず、その仕事の持つミッションに気づくということにほかなりません。わが社は冠婚葬祭業を営む企業ですが、わたしは、この仕事くらい価値のある仕事はないと心の底から思っています。2001年10月の社長就任以来、「冠婚葬祭業とは哲学産業であり、芸術産業であり、宗教産業である」とずっと社員に訴えてきました。また、「結婚は最高の平和である」と「死は最大の平等である」を二大テーゼに、結婚式や葬儀の1件1件が実は人類の「平和」「平等」の実現につながっているのだと説いてきました。



ミッションを明確に成文化して述べることを「ミッション・ステートメント」といいます。わが社では、2001年11月18日の36回目の創立記念日より、「S2M宣言」を導入し、大ミッションを「人間尊重」、小ミッションを「冠婚葬祭を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いをする」と定めました。具体的なステートメントとして、まず、「サンレー・トゥー・メンバーズ〜会員様のお役に立つサンレー」「システム・トゥー・マネー〜財務力を強化するシステムの確立」「スピード・トゥー・マーケット〜市場への迅速な対応」「サービス・トゥー・マインド〜お客様の心に響くサービス」の4つを発表。 



翌年には、「スキル・トゥー・メジャー〜一流になるための技術の向上」「ストレート・トゥー・ミッション〜社会的使命の追求」、さらにその翌年には、「スマイル・トゥー・マンカインド〜すべての人に笑顔を」「サポート・トゥー・モラル〜倫理道徳の支援」を発表して、合計8つになりました。最初から8つすべてがわたしの頭の中にはあったのだが、一度に発表すると社員が混乱すると判断し、毎年2つづつ増えていったのですが、その結果、世にも珍しい「増殖する経営理念」となりました。



現在、全国の各拠点で朝礼の際に唱和し、当社のミッションを確認しています。
この「S2M」こそ、当社の命そのものと言えるでしょう。
なお、「命」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。


孔子とドラッカー 新装版―ハートフル・マネジメント

孔子とドラッカー 新装版―ハートフル・マネジメント

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2017年6月4日 佐久間庸和

天  

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この記事は、当ブログの1997本目の記事です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「天」です。



わたしは経営者である前に一人の人間として生きていくうえで、常に「天」というものを意識するように心がけています。天とは、まず宇宙のことだと考えます。ものすごい時代になったもので、ついに宇宙の年齢がわかってしまいました。2003年2月に米国NASAの打ち上げた人工衛星WMAPが、宇宙論研究の究極の課題だった宇宙の年齢が約138億年という事実を明らかにしたのです。



宇宙を1冊の古文書として見るならば、その解読作業は劇的に進行しています。
それというのも、20世紀初頭に生まれた量子論と相対論という、現代物理学を支えている2本の柱が作られたからです。さらにこの2つの物理学の根幹をなす法則を駆使することによって、ビッグバンモデルと呼ばれる、宇宙のはじまりの瞬間から現在にいたる宇宙進化の物語が読み取られてきました。



宇宙と人間との関係について考えると興味は尽きませんが、いわゆる「人間原理宇宙論」というものがあります。現在、わたしたち人類がこの宇宙のなかに存在しているわけですが、物理的考察をすると、人類が宇宙のなかに存在しうる確立は、ほとんどありえないものとする考え方です。つまり、あたかも神によって「人類が存在できる宇宙」が必然的に選ばれたかのごとくに、さまざまな事柄が調整されて、はじめて人類が宇宙のなかで誕生し、存在することが可能になります。いや、そうとしか考えられません。



宇宙の中にある物質の量とか、宇宙の曲率とか、あるいは原子核同士が核融合反応を起こすときの核反応率とか、その他もろもろのあらゆる物理的諸条件の値がすこしでも違っていたら、太陽も地球も誕生せず、炭素もできず、炭素型の生命体であるわたしたちの存在もなかったわけです。
このように、現在の宇宙の様子をいろいろと調べると、わたしたち人間が存在するためには、きわめて計画的に、ものすごい微調整をしなければなりません。偶然にこうした条件が揃うようなことはまずありえないでしょう。



ですから、人類のような高度な情報処理のできる生命が存在していると事実を説明するときに、「これはもう、人類がこの宇宙に生まれるように設計した神がいたのに違いない」という発想が出てくるわけです。こういうことを常に考えながら生きていると、自然と謙虚な気持ちが生まれてくるように思います。 



さて話は変わりますが、佐藤一斎という人物がいます。吉田松陰西郷隆盛に大きな影響を与えた幕末の儒者です。彼の考えに基づいて明治維新がなされたと言ってもよいほどですが、その一斎の言葉に「毀誉褒貶は、人生の雲霧なり。この雲霧を一掃すれば、すなわち青天白日」があります。「青天白日」つまり心に一点もやましいことのない境地に至ることが重要だといいます。



正しい気持ちをもって生きれば、何も恐れることはない。しかし、周りの評判を気にしてしまうと、自分の判断に迷いが生じる。それゆえ、毀誉褒貶は人々を戸惑わせる雲霧のようなものであるというのです。一斎は、歴史の流れについても「天の意思も人間世界のあり方も、刻一刻と変化している。それゆえ、歴史の必然的な流れをとどめることはできない。しかし、人間の力ではその流れを早めることもできない」と述べています。彼は、つねに天を意識していました。



その思想は西郷隆盛に受け継がれ、西郷は「敬天愛人」を座右の銘としました。ある日、陸軍大将であった西郷が、坂道で苦しむ車夫の荷車の後ろから押してやったところ、これを見た若い士官が西郷に「陸軍大将ともあろう方が、車の後押しなどなさるものではありません。人に見られたらどうされます」と言いました。すると西郷は、「馬鹿者、何を言うか。俺はいつも人を相手にして仕事をしているのではない。天を相手に仕事をしているのだ。人が見ていようが、笑おうが、俺の知ったことではない。天に対して恥じるところがなければ、それでよい」
他人の目を気にして生きる人生とは、相手が主役で自分は脇役です。正々堂々の人生とは、真理と一体になって生きる作為のない生き方です。天とともに歩む人生であれば、誰に見られようとも、恥をかくことはありません。  



東洋思想を象徴する言葉に「天人合一」があります。天、つまり宇宙と人生とは別のものではなく一貫しているという意味です。宇宙には「道」という根本的な法則性があって、宇宙の一員である人間も、そこを外れては正しい人生も幸せな人生も歩むことができません。それに対して、西洋では天、つまり自然と人間とを対立するものととらえてきた。人間は自然の一部というより、自然は人間が征服すべきものという考え方である。その結果が地球の環境破壊である。



西郷隆盛は明治以後の日本人で最も人徳、人望のあった人物と言われていますが、すべてのマネジメントに関わる人々も、天を相手に正々堂々と仕事し、生きたいものです。西郷の思想的先達は佐藤一斎であり、陽明学者である一斎の先達はもちろん明の王陽明です。そして、その源流ははるか古代の孔子にさかのぼることは言うまでもありません。わが社は「礼経一致」を企業理念としており、何より「礼」というものを重んじています。



「礼」は孔子が再発見したコンセプトですが、その根本は何よりもまず「天」を祭ることです。
天とは宇宙であり、神です。孔子はいつも「天」を意識していたのです。
さらに「天」を現代的に解釈すれば、「社会」ということにもなると思います。
ドラッカーは「会社は社会のもの」だと喝破しました。会社の主は、株主でも経営者でも従業員でもなく、顧客でさえなく、社会そのものなのです。
なお、「天」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。


孔子とドラッカー 新装版―ハートフル・マネジメント

孔子とドラッカー 新装版―ハートフル・マネジメント

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2017年6月5日 佐久間庸和

観光は銅像見学から  

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この記事は、当ブログの1998本目の記事です。
横須賀に来ています。会長を務める全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の総会がこの地で開催されるのです。横須賀は互助会の発祥の地ですが、明日は鎌倉にまで足を延ばして観光する予定です。「日本最大の銅像」ともいえる鎌倉の大仏を見学するのが楽しみです。
さて、6日に「サンデー毎日」2017年6月18日号が発売されます。わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。第83回目のタイトルは、「観光は銅像見学から」です。なお、当ブログは2000本目の記事をもって終了いたします。今後の「一条真也の人生の四季」は、「一条真也の新ハートフル・ブログ」で紹介させていただきます。


サンデー毎日」2017年6月18日号



わたしは観光が大好きです。多くの観光地には、その土地ゆかりの銅像が建立されています。じつは、わたしは三度の飯より銅像が好きなのです。
正確には、銅像の真似をして写真に写ることが好きなのです。
わたしの本名で公開しているブログには、「銅像に学ぶ」というカテゴリーがあり、各地の銅像と撮影した写真を紹介しています。最近訪れた中国では玄奘像と記念撮影しました。



しかし、これは単におふざけでやっていることではありません。「銅像」とは偉大なる先人たちの魂が宿った姿であり、そのポーズには何かしらのメッセージが潜んでいます。その偉人と同じポーズをとることで、偉人の志を感じることが大事なのです。
これは先人に対する「礼」でもあり、その精神を学ばせていただいています。



もともと「学ぶ」という言葉は「真似ぶ」から来ています。
銅像の真似をすることには意味があるのです。「観光」とは、もともと四書五経の1つである『易経』の中の「観國之光」という言葉に由来します。「國之光」とは、その地域の「より良き文物」や「より良き礼節」と「住み良さ」をさします。



すなわち観光とは、日常から離れた異なる景色、風景、街並みなどに対するまなざしなのです。どんな土地にも、固有の光り輝く魅力がある。観光とは文字通り、その光を観ることにほかなりません。土地の光を観る精神は、人間の光を観る精神にもつながるように思う。つまり、その人の長所や美点を観るということです。


論語』には「君子は人の美を成す。人の悪を成さず。小人は是れに反す」という言葉があります。「君子は人の美点を伸ばし、悪い点は出さないようにするものだ。小人はその反対だ」という意味です。「温故知新」も『論語』に出てくる言葉ですが、わたしは銅像を通して先人の志を学ばせていただいているのです。プライベートでの旅行はなかなか時間的に難しいですが、これからも仕事の出張先で、まだ見ぬ銅像とめぐりあえることを楽しみにしています。


サンデー毎日」2017年6月18日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年6月6日 佐久間庸和

全互連総会 in横須賀  

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この記事は、当ブログの1999本目の記事です。
6月6日は、わたしが会長を務める全互連の総会が開催される日です。
早朝、わたしは前日入りしていた東京のホテルの客室で目覚めました。
朝食を取った後、総会の流れや会長挨拶のチェックなどを行いました。
そしてJR品川駅から新幹線に乗って、横須賀に向かいました。
プラザヨコスカよこすか平安閣)で、第59回全互連定時総会が開催されるのです。


プラザヨコスカの前で

互助会の発祥の地を訪れました



全互連は、正式には「全国冠婚葬祭互助会連盟」といいます。冠婚葬祭互助会とは、その名通りに「相互扶助」をコンセプトとした会員制組織です。終戦直後の1948年に、西村熊彦という方の手によって、日本最初の互助会である「横須賀冠婚葬祭互助会」が横須賀市で生まれました。そして、横須賀から名古屋へ、さらには静岡へと、全国に広まっていきました。いわゆる「平安閣グループ」と言われている互助会集団が全互連なのです。


昼食を頂きました

良長院で墓参しました



本日は、昼食を頂いた後、互助会の創始者である西村熊彦翁のお墓参りをすることができました。西村翁のお墓は、横須賀の良長院の境内にありました。会長、副会長、専務理事、一部の理事らによる墓参でしたが、長年の念願を果たすことができ、わたしの胸はいっぱいになりました。そして、西村翁のお墓に手を合わせながら、「互助会の火はけっして消しません。これからも冠婚葬祭で日本人を幸せにします」とお誓いしました。


冠婚葬祭互助会はここで誕生しました!

互助会の歴史が展示されました

昭和28年7月17日付けの日経新聞のコピー

「互助会の父」西村熊彦翁の胸像と

理事会会場にて(花が豪華!)

14時から理事会を開催しました

第59回定時総会が開催されました

第59回定時総会のようす



それから、13時から正副会長会議、そして14時から理事会が開催されました。
14時50分に理事会が終了すると、15時からは定時総会です。
会場の外には西村熊彦翁の銅像、さらには横須賀冠婚葬祭互助会の歴史を展示するコーナーがありました。とても勉強になりましたが、特に昭和28年7月17日付けの「日本経済新聞」の見出しに「珍しい冠婚葬祭の互助会」「保険に似た仕組み」と書かれているのが印象的でした。


会長として登壇しました



松嶌専務理事(三重平安閣社長)の司会で第59回定時総会が開始されました。
大石副会長(千代田社長)による開会宣言、物故者黙祷の後は「会長挨拶」の時間です。
わたしは会長として登壇し、冒頭で以下のように述べました。
「いまご紹介に預かりました全互連の会長を拝命しております佐久間でございます。本日は関係機関の皆様方にはご多用のところ、ご臨席を賜り誠に有難うございます。また、皆様方には日頃より一方ならぬご懇情とご指導を賜っていることに、この場をかりて心より感謝を申し上げます。定時総会にあたりまして一言ご挨拶を申し上げます」


会長挨拶のようす



それから、以下のように述べました。
「本年度の全互連第59回定時総会は、関東・甲信越ブロックの互助会各社の皆様にご担当いただき、冠婚葬祭互助会の発祥の地であります、この横須賀で開催する事となりました。戦後間もない昭和23年に横須賀冠婚葬祭互助会を創業された西村熊彦氏は、冠婚葬祭こそわが国の精神的文化であり、日本人の誇りであると提唱されました。『明るく暮らせる日本の創造』という壮大な志があったればこそ、今日の業界の隆盛があることを私たちは決して忘れてはなりません。その意味から、横須賀での開催は意義深いものがあり、全国各地より多数のご参加を賜りましたことに心より感謝申し上げます」


業界の保守本流として・・・



それから業界を取り巻く環境変化などに言及した後で、以下のように述べました。
「今回、互助会発祥の地である横須賀において、業界の保守本流として『初期設定』を再確認すると共に、時代の変化に沿った『アップデート』への布石となる有意義な総会にしたいと考えております。今後とも、全互連加盟各社が一丸となって、消費者保護政策を推進し、自社の経営基盤の強化を図り、全互連加盟互助会相互の団結をより強固にし、儀式文化の継承と創新に努めていくことが肝要であり、あらためてご協力を賜ればと存じます」


業界発展のために努めてまいります!



そして最後は、以下のように述べて、会長挨拶を締めくくりました。
「最後になりましたが、本総会開催に際しご尽力頂きました関東・甲信越ブロック各社の皆様、ご協賛を賜りましたお取引先各社の皆様に心より厚く御礼申し上げます。
わたくしも全互連会長としての4年目を迎え、一致団結して難局を乗り越え、業界発展のために努めてまいりたいと考えております。全互連加盟互助会各社の皆様におかれましては、今後ともご支援・ご協力を賜りますようお願い申し上げ、全互連加盟互助会各社の益々のご発展とご参集各位のご健勝を祈念申し上げ、わたくしのご挨拶といたします。ありがとうございました」


横須賀冠婚葬祭互助会様に感謝状を贈呈しました

横須賀冠婚葬祭互助会様に贈呈した感謝状



総会の最後には、退任理事に感謝状を贈呈させていただきました。
そして、この日のクライマックスともいうべき、横須賀冠婚葬祭互助会様への感謝状を贈呈させていただきました。感謝状には、「貴社は戦後の混乱期 全国に先駆け、ここ横須賀の地において冠婚葬祭互助会を起業し、我々後輩各社を指導される等、多大なる貢献をされました。よってここに感謝状を贈り、深甚なる謝意を表します」と書かれていました。
西村社長に感謝状をお渡しするとき、胸に熱いものがこみ上げました。


懇親会のようす

懇親会の冒頭で挨拶しました



総会は16時30分に終了しました。その後、参加者全員で記念撮影をしてから、17時から懇親会が開催されました。懇親会の冒頭でも会長挨拶があります。登壇したわたしは、「本日は、全互連定時総会懇親会にこのようにたくさんの皆様にご出席を賜り、誠にありがとうございます。皆様方には平素より全互連の運営に関しまして、格別のご理解・ご支援をいただき心より御礼申し上げます。また公務ご多用の中にも関わらず多くのご来賓の方々にもご臨席をいただいております。重ねて御礼を申し上げます」と述べました。


横須賀は冠婚葬祭互助会の発祥の地です!



それから、わたしは以下のように述べました。
「さて、わたしは、この横須賀の地を訪問することを心待ちにしておりました。なぜならば、ここが冠婚葬祭互助会の発祥の地であるからです。今日この業界があるのは、ひとえに横須賀冠婚葬祭互助会を起業された故西村熊彦氏の高い志と、それを具現化された尊い実践があったからにほかなりません。それ故に、全互連会長として、深く感謝せずにはおれません」


聯合艦隊解散之辞」に言及しました



それから、横須賀について以下のように述べました。
「横須賀はご存知のとおり、ペリー来航による『開国』を象徴する地でもあり、勝海舟を艦長とする咸臨丸が出航したのも横須賀港でした。いわば日本の近代化の発祥の地でもあるのです。明日の第2分科会(観光)で視察する戦艦『三笠』は、日露戦争において連合艦隊旗艦を務めましたが、連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥が乗艦されていた戦艦です。日露戦争終結し、連合艦隊が帰還した際、「聯合艦隊解散之辞」が東郷元帥により示達されます。文章の起草者は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公の一人である秋山真之(さねゆき)ですが、その最後の一節には「勝(かっ)て兜の緒を締めよ」という名文が登場します」


勝て兜の緒を締めよ!



そして、最後に、わたしは以下のように述べました。
「冠婚葬祭互助会は時代と共に成長いたしましたが、その創設者たる故西村熊彦氏の志を決して忘れてはなりません。まさに『勝て兜の緒を締めよ』の精神です。わたしは全互連会長として、互助の心を回復し、有縁社会を再生するため全力で臨む覚悟です。本日ご臨席の皆様におかれましては、今後ともご支援・ご協力を賜りますようお願い申し上げます。最後になりますが、各社様の益々のご発展とご参集各位のご健勝を祈念申し上げ、わたしの挨拶とさせていただきます」
挨拶を終えると盛大な拍手を頂戴して、たいへん感激しました。



懇親会のようす

懇親会でのテーブルマット

横須賀名物「梅わいん」で乾杯

シラス丼(江の島名物)が絶品でした



懇親会のテーブルマットには戦艦が描かれていました。
横須賀名物の「梅わいん」で乾杯しましたが、とても飲みやすかったです。
料理もすべて美味しかったですが、特にシラス丼(江の島名物)が絶品でした。


全互連の歴史を動画で紹介

互助会訓の内容を紹介

在りし日の西村熊彦翁

平安閣の誕生!!


途中、ステージの横ではスクリーンに映像が流されました。
横須賀冠婚葬祭互助会の歴史を紹介する動画で、非常に興味深かったです。
互助会訓の内容や、平安閣の誕生の場面なども映し出され、身が引き締まりました。


ジャズが流れる懇親会場

エンドロールが流れました

二次会で「波乗りジェーン」を歌いました♪



懇親会では地元のジャズ・バンドが出演して、心地よいナンバーを奏ででくれました。
最後には、結婚披露宴で使用されるエンドロールが流れ、総会と懇親会を振り返っていました。エンドロールのBGMはサザンオールスターズの「波乗りジェーン」でした。懇親会後の二次会ではカラオケも歌われ、わたしも「波乗りジェーン」を歌いました♪


アンコールで「まつり」を歌いました♪

男はまつり〜を〜♪

魂を込めて歌いました♪

これが全互連の祭り〜だ〜よ〜♪



その後、富士平安閣の山崎社長をはじめ、数人の方々の熱烈なご要望により、ブログ「まつり」で紹介したサブちゃんの名曲を歌いました。最後の「これが日本の祭り〜だ〜よ〜♪」のところは「これが全互連の祭り〜だ〜よ〜♪」に改変して歌ったのですが、大いに盛り上がりました。わたしが歌っていると、多くの人々がスマホで撮影していました。わたしは歌い終わると、「個人情報の保護が叫ばれる昨今ですが、わたしには個人情報も肖像権もございません。わたしの写真など、ブログやSNSでいくらでもお使い下さい!」と言うと、大爆笑でした。
わたしの会長任期もいよいよ、あと1年です。
全力で務めさせていただきます。全互連最高!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年6月7日 佐久間庸和


「天下布礼日記」修了!

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この記事は、当ブログの2000本目の記事です。
ブログ「2000本!」で紹介したように、5月9日に「一条真也の新ハートフル・ブログ」の記事が2000本となりました。それから1ヵ月後の今日、「佐久間庸和の天下布礼日記」も2000本を達成しました。みなさまのご愛読に深謝いたします。



ブログ「ブログ始めました!」に書いたように、2010年のバレンタインデーに「一条真也のハートフル・ブログ」はスタートしました。それ以来、930日間、1日も休まずに続けてきました。しかも、ご存知のように長文のものも多かったです。
その文章量は、かなりのボリュームになりました。
しかしながら、思うところあって、2012年8月31日に休止しました。
ちょうど、2000本目の記事を書き上げた日でした。それから番外編をいくつかUPしましたが、「本格的にブログを再開してほしい」との声が多く寄せられました。
2013年のバレンタインデーの日、新ブログがスタートしました。
そして、1568日目の今日、記事の数が2000本に達したのです。


最初から2000本と決めていました



そして、この2000本目の記事をもって、「佐久間庸和の天下布礼日記」を修了いたします。
じつは、当ブログを開始したときから、「2000本までにしよう」と決めていました。これまで、二刀流ブログとして並行してきましたが、今後は「一条真也の新ハートフル・ブログ」に一本化いたします。当ブログのコンテンツであった「一条真也の人生の四季」(サンデー毎日)、「ハートフル・ブックス」(サンデー新聞)などは、今後は、「一条真也の新ハートフル・ブログ」に掲載させていただきます。


当ブログから生まれた『ミッショナリー・カンパニー』(三五館)



当ブログを終了する最大の理由は、「役割を終えたから」です。
「会社だより」「業界だより」「ロータリー」などのカテゴリーは、「もっと世の中の人々に活動を知ってほしい!」という広報的要素が強かったですが、予想を超える大きな反響がありました。当ブログからは、『ミッショナリー・カンパニー』(三五館)という著書も誕生しました。
また、当ブログには、思わぬ効果がありました。わが社の社員のみなさんが、社長であるわたしの考え方をよく理解してくれるようになったのです。これまでも、社長訓示であるとか、社内報でのメッセージなどにおいて、ずいぶん社内向けのメッセージは発してきたつもりですが、それらとは比べ物にならないほど、当ブログの効果は絶大でした。


台湾にて、わが社の同志のみなさんと



みんな、わたしのブログを読んで、わたしの考えや想いを知り、理解し、あるいは共有してくれるようになりました。まあ、わたしの居場所が明白になってしまうのと、私生活が少々知られてしまうデメリット(笑)を除けば、ブログというのは本当に社長と社員のコミュニケーション手段として優れていると思いました。また、各種の進発式や懇親会、忘年会、新年会、社員旅行などの社内行事についても、ブログに思い出の写真を掲載すれば、みんなの「こころ」が1つになりました。しかし、時代の変化で、それも難しくなってきました。
仕方ありません。変化には対応するのみ、です。


昨日、冠婚葬祭互助会の発祥地を訪れました



昨日、わたしは冠婚葬祭互助会の発祥地である横須賀市を訪れ、互助会の創始者である西村熊彦翁の墓参を果たしました。このとき、1つの区切りがついたと実感しました。
きっと、西郷どんも「もう、ここらでよか」と言ってくれることでしょう。
なお、アーカイブとして過去の記事は残します。どうぞ、お読み下さい。


過去の記事はこれからも読めます!



当ブログの最大の成果は、「天下布礼」という言葉・考え方を広めたことだと思います。それは、グーグル「天下布礼」ヤフー「天下布礼」といった検索ワード一覧を見てもわかります。少しでも「人間尊重」思想を世に広めることができたでしょうか。


天下布礼」の旅は終わらず!



たとえ当ブログが終了しても、「天下布礼」の旅は終わりません。
どうか、「一条真也の新ハートフル・ブログ」でわが求道の旅の行方を見て下さい。
以上、これが「佐久間庸和の天下布礼日記」の修め方であります。


これが「佐久間庸和の天下布礼日記」の修め方!



2017年6月8日 箱根湯本温泉にて 佐久間庸和





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